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アイドルという至高の芸術。



アリーナで待っていた彼らは、


大きくて、高くて、遠かった。





原因は自分にある。

初アリーナ公演 「因果律の逆転」



“ぴあアリーナMMにて、君を待つ。”



その言葉に誘われるように、約1万人が集ったこの公演。

私は有難いことにアリーナ5列目というとんでもない席から彼らを観ることができた。

でも、


大きくて、高くて、遠かった。


少なくとも私にとってそれは悲しいことじゃなくて、寂しいことでもなくて。げんじぶが芸術作品として昇華された瞬間を観たような気がした。






2023年1月28日

げんじぶ空間 case.5 end of Infinity



パシフィコ横浜にて行われた公演を、私はテレビの画面越しに観ていた。

初めて観る原因は自分にある。のライブは、曲の世界観とファンタジーさを感じさせてわくわくさせられるような公演だった。

そしてそれ以上に、げんじぶ7人の“必死さ”が伝わる公演だったように記憶している。


1曲目、緊張で震えながらも一生懸命歌う姿。
7人でパフォーマンスできる喜びを噛み締め、楽しそうに笑いながらパフォーマンスする姿。
Lionで全ての力を振り絞って踊る姿。
桜 Groundやげんきみで、1番奥までどうにかして感謝の気持ちを届けようとする姿。

毎日もがき苦しみながらとにかく全力で駆け抜けてきた彼らの、全ての感情が溢れ出していた。

不器用で、繊細で、だからこそ儚い。

人間からしか出せない身体中から放たれるキラキラとした美しさを感じた生放送だった。






2023年8月6日

ホールツアー  G=∅  名古屋公演

今考えれば、私はこの日の公演で人間の脱皮途中を目撃したのかもしれない。

個人仕事で各々が多忙な中リハーサルが進むホールツアー、埋まるかも不安なアリーナ公演。エビライからは杢代和人も帰ってくる。帰る緊張感を持つ1人と、7人としての形を再形成していく6人。

私達が知り得るだけでもいくつも大きな不安がメンバーに押し寄せたであろうこの夏。


そんななかでも毎公演全力で私たちを盛り上げ、時折世界観にグッと引き込んでいく。でも体調不良になってしまうこともあって、少しだけ不安も口にしてくれて。

1年間の原因は自分にある。の集大成を更なる高みへ共に創り上げていったような夏だと感じた。






感情を爆発させた冬。


不安をかき消した夏。

そして、

作品を昇華させた秋。



2023年11月5日 因果律の逆転を観て、
私はそんなふうに感じた。


これまで以上に世界観への拘りが窺えるOPを始めとした映像。
今までに類を見ない複雑ながらも美しい衣装。

そしてパシ横の時とは全く違う、より計算され磨かれたパフォーマンス。

感情とか勢いに任せるのではなく、ひとつひとつ丁寧に精巧に緻密に揃えられたダンスに圧倒された。今までより確実に各々の音の取り方が合ってきている。

私は色々なアイドルグループを渡り歩いているなかで、1度ダンスに力を入れたところでそう簡単にグループとしてのダンスが向上するわけではないことを知っている。メンバー個人のダンスが向上することはあっても、グループとしてのパフォーマンス力というのを上げるのは難しい。むしろ1人だけ抜きん出たパフォーマンス力を持っていると、浮くメンバーも出てくる。
でもあるとき突然、グループとして圧倒的に成長を見せる時期が来る。そのグループとしてのダンスが形になる瞬間がやってくる。努力を積み重ねた結果、意識せずともバチッと揃えられるようになってしまう。まさにそれが今回ぴあアリで観測できた。


歌唱の成長も今回大きく感じられた。

パシ横の配信を見た際は正直「ん?今の大丈夫か?」となっていた音程の揺れが今回は感じられなかったことにまず驚いた。(早くなってたところは高揚の結果なのかな、これからに期待)

なにより今回の歌唱MVPは、満場一致で桜木雅哉だろう。
スノウダンスでのアカペラ歌唱でメインボーカルとも言われる潤、光咲と共に堂々たるパフォーマンス。そして個人的に感動したのはMr.Androidにて全て歌い切った部分。ホールツアーでは1番高いところは歌っていなかったというのに。この3ヶ月で彼はどれだけ努力したのだろう。

声から音源どころか、音源以上のパフォーマンス。アレンジも含め、どこまでが計算通りでどこまでが気持ちの高揚なのか私には分かり得ないけれど、どちらにせよここまでのパフォーマンスを仕上げてくるとは思わなかった。


でも彼らは、その努力を表に出さなかった。

こんなに頑張ったとか、こんなに辛かったとか、心の奥で思うことはこの数ヶ月の間だけでもきっと沢山あったはずで。でも彼らはそれを出さないことを選んだ。120%の状態で仕上げたものをさも当たり前のことのように私たちに観せた。

私は、アイドルから夢とキラキラとした世界を魅せてもらうために彼らを日々追いかけている。私にとってそれはアイドルとファンの義務だと思っている。
アイドルは夢を見せるのが仕事で、ファンは夢を適度に見に行くが役目なのだ。勿論夢見すぎも良くないし、彼らも人間な上にドラマ性もあるから苦しみや葛藤は付き物である。でもそれを大っぴらに提示してお涙頂戴、もっと応援して頂戴、お金を頂戴とするのは違う。私は夢にお金を使っているのであって、彼らの苦しみの救済にお金を使っているのではないのだから。



今回のぴあアリ公演の根底のテーマはおそらく、ファンである観測者への彼らなりの感謝である。
それは「因果律の逆転」というライブ名からも、ライブ内での映像での解説からも明らかだ。


でもこれも、演出で大っぴらには見せなかった。


明確なお涙頂戴曲ゾーンや、しんみりとした挨拶が一切無かったのだ。それどころか彼らの最後の挨拶から察するに、この因果律では泣かないとか、次の未来を見せるとか、辛さを見せないとか、感謝を届けるとか、作品を届けるとか、そういう明確な共通認識があったように感じる。

きっとこれが彼等が出した“正解”なのであろう。
私はこの回答を導き出したグループを応援できていることが心底嬉しい。




それから、「彼らが大人になった」と思った。

げんじぶの楽曲の人格はいつも哲学的で何処かひん曲がっている子が多い。その一方で、先述した通り喜びでいっぱいになったり、不安を零したり、感情に素直な7人。

今回ぴあアリに立ち客席を見つめる7人は、ずっと大きく成長していて大人になっていた。彼らにどんな心境の変化があったのか、まだ感想もほとんど聞けていない私たちには分からない。分からなくてもいいのかもしれない。
赤幕が落ちて登場した時、どこか冷静で、ずっと遠くて高い未来を見つめているような7人の佇まいがとにかくカッコよかった。最後の挨拶で紡ぐ言葉も、現在目の前にいることに全力を振り絞っているだけでなく、もっと先を落ち着いて捉えているようだった。あぁなんだか、大人になったな、遠くなったな、と思った。


オタクがよく言う「遠くなっちゃったな、、、」という感覚は難しい。私が今回感じた「遠くなっちゃったな」は、“大きくならないで”とは違う。げんじぶというグループがぐぐっとこの短期間で成長してしまって(“してしまって”というのは私たちが知らない間で、という感覚だろうか)、1番上まで見上げたら想像できないくらい高いところにいて。(新規の立場で言うなと言われたらそれまでだが)子供が大きくなってひとり立ちできるようになってしまったような感覚になった。



アイドルとファンの関係性というのはグループ毎に様々で、ファンとの距離感、癒着性、空気感は千差満別。

“7人とファン一人一人が常に手を握ってゆっくり1歩ずつ歩いていく。お互い愛し愛されながら、前を向いて安心感を持って進んでいく。私にはそんなふうに見えるのだ。”

永遠なんてないけれど。


私は以前、こんなふうに観測者との関係を記した。

でもぴあアリで観た彼らは、また違った存在に見えた。



実寸よりずっと大きな7人がいて、
その肩にちょこんと観測者が乗っている。

時々耳元に私たちが話すことに笑顔で応えてくれながら、新しい世界に7人が連れて行ってくれる。


俺らについてこい、なんてことは相変わらずしないけれど、もう私達と彼らは同じ位置にいないような気がした。





改めて、アリーナ公演を振り返って。

全体を通し言葉で表現するのがとっても難しいのだが、
(なら何故noteで書こうとしてるのか、、、)


漠然と、伝説になる、と思った。

人間ではなく、神話を観ているような。

ふと1枚の絵画を観て、突然吸い込まれてしまいそうな。


美術に疎い私にはこの表現が正しいのかは分からないけれど、なんだかそんな心地がした。





近いはずなのに遠くて。美しくて。

煌々と輝いているその姿を観ては

はぁ、とため息をついてしまう。

私は最高の芸術に出逢ってしまったのかもしれない。



次はどんな世界を魅せてくれるのだろうか。



あーあ、はやく彼らに会いたいな。

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