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未来を切り開くことと「自分が動かされたなにか」を継承し伝えることは同義だろう。漫画『映像研には手を出すな!』を読んで

アニメ化されて今ノリに乗ってる「映像研には手を出すな!」が最高だったのでそのことを書こうといます。

設定画/イメージボードを考えるのが大好きでそこに命をかけてる浅草みどり、カリスマ読者モデルでありキャラ絵を描くのが好きな水崎ツバメ、アニメのことはよくわからないけど金勘定やマネジメントが得意なプロデューサー気質の金森さやかの三人が映像研を立ち上げてアニメをつくっていく話。

主人公たちを通して作者:大童澄瞳先生のアニメ愛が迸る。さらにものづくりとその流通についても描かれているメタ漫画になっているところが激アツ。

さらに湯浅政明さんによるアニメ版もめっちゃ最高で、最近は毎話毎話ラストで泣いてます。

このオープニングも湯浅監督っぽい感じで最高なんすよね。


その中でもホントに好きなコマがあって、たぶん「座右の一コマはなんだ」って言われたらこれにしようってぐらい最高に泣ける場面があります。

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↑これ(ちなみにこのコマは「アル」っていう漫画サイトによって、著作権とかクリアされてるやつです)

チェーンソーの振動が観たくて、死にかかってる人がいるかもしれない。
私はチェーンソーの刃が跳ねる様子を観たいし、そのこだわりで私は生き延びる

水崎ツバメに語らせてるこのセリフ。
なんというか、真理すぎる(ちなみに僕はアニメとかチェーンソーの振動のこだわりそのものに対して共感してるわけではないです)
ものづくりの本質を完全に言語化してもらった感覚があって泣きました。


どういうことか。ちょっと考えてみます。

「映像研には手を出すな」での
“チェーンソーの振動が観たくて、死にかかってる”
って言葉はちょっとおおげさに聞こえるかもしれないし実際おおげさだとは思います。でも、けっしておおげさではなくて(どっちだ)
これは「チェーンソーの振動」にこだわることで「人間として」生きていけるということかなと。生きてりゃいろいろあるし、動物みたいに生きていくこともできるけど、このこだわりによってより生き生きと生きていけるという。


さらに、べつの人の言葉を引用してみます。

人を動かす新しい体験をつくろうとするとき、人は「動かされた自分」の体験を基準にしてしか、それをつくることはできない。未来を切り開くことと「自分が動かされたなにか」を継承し伝えることは同義だろう、とぼくは思っている。

これは元WIRED編集長・現blkswn代表の若林恵さんの言葉。

↑こちらに書かれてます。

「自分が動かされたなにか」ってのが「チェーンソーの振動」であり、「未来を切り開くこと」が「こだわりによって生き延びる」ということなんですよね。
継承し伝えることでこだわってた自分は生き延びるし生き残るとも言える。

そんなことが漫画全体にもあふれているし、言語化されてもいる。

いやぁー、いい漫画や。


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