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配志和神社と都市伝説

2020年9月18日に放送された、やりすぎ都市伝説。放送数日前、突然懐かしくなってインターネットを検索したところ、岩手の六芒星について、数年前の記事を発見。放送を見たとき、ドキリとした。コロナから守ってくれていると、少し前から地元では話題になっているようだ。番組で取り上げられた山は、父親が幼少時、自給自足に近い生活をしていた山だったので、更にドキリとした。(草木も生えない、トンビが下を飛んでいる山頂付近で、被差別者として育ったようだ。幼少時お参りした墓は、一般的な墓石ではなく、本当に只の石だった。)六芒星の中心、配志和さんの麓で生まれ育ったので、せっかくだから覚書。上の世代は、山姥が居ると言って遊ぶのを嫌がったらしい。神社は月を祀っていた。近所では月の事を「ののさま」と呼んでいた(浄土宗で、尊ぶべきものを指す幼児語)。昔は馬で栄え、あちこちで馬の競りがあった。

当の一関市といえば、少し前、虐待動画がSNS上で話題になった。現在は離れているため不明だが、地元にいた頃は児童養護施設に預けられている子がとても多かった。教師が生徒を虐めるのは当たり前だったし(今でも教師を続けている)、子どもの人権という概念がない家庭もよく見かけた。バラックもあったし、中学生で妊娠もあった。地元を離れる人間を「逃げる」と呼ぶ風潮はまだあるようだ。(逃さないようにね、なんて親戚から口煩く言われるのは当たり前。去年、青森付近で「他所に逃げられると思うな」と、女子高生を追い回した老人がネットニュースになっていた。)長男信仰が強く、借金しようが盗みを働こうが、とにかく長男を持ち上げるのだ。(私は女として生まれた為、おめでとうではなく「残念だったね」と親戚中から言われた。)不思議なもので、日本各地を転々としているが、何処へ行っても一関市出身の人に出会う。「逃げて」きた人達なのだろうか。

六芒星の中心にいるのに人が悪いのか、六芒星が強すぎて気が触れるのか、呪いの六芒星なのか。配志和さんの付近にはいくつか井戸があるが、一人では辿着けない井戸がある。撤去されたのか、何か条件があるのか。幼い頃、三人で遊んだ井戸が懐かしい。彼等と遊ぶ時だけ、その井戸に行くことができたのだ。一人でも欠けると、何故か辿着くことができなかった。

【歴史】

平安時代後期から末期頃に蘭梅山麓にある中里村に遷座、貞享3年(1686)に蘭梅山(菅原道真の子・敦茂が、父の育てた蘭梅を植えた山)中腹である現在地に再遷座。1900年前に日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国征伐した際に、悪徒退散を祈願したのが始まり。

御祭神:高皇産霊尊、瓊瓊杵尊(皇孫尊)、木花開耶姫命
祭礼日:5月1日、11月3日
境内社:浅間神社、日吉神社、愛宕神社、天神社、八幡神社、産神社、神明宮、白鳥神社、八雲神社、三宝大荒神社他多数
由緒:延喜式神名帳にも記載されており、創立は古くから人皇十二代景行天皇の御代、皇子日本武尊詔を奉じて軍を率い、遠く道の奥の国に入り蝦夷の地に至る。進んで営をこの地、中津郷の耶麻要峯に移し(神社境内)、その嶺頂に登り梟賊を平治せんことを祈り、自ら矛を収め三神を鎮齋し、東奥鎮護の神として祠を建て火石輪と称した。

【構成要素】

一の鳥居は県道一関平泉線(旧国道4号)、住宅地にある。

金剛山、庚申塔、雷神などの石碑が立つ。
上段に岡池、下段に築山泉水式の主庭を配する2段式庭園(と神職家屋)がある。

神社入口近くに千年杉、白鳥神社の石宮、八雲神社、三宝大荒神社等の境内社が順にある。

月見坂を上がるとモミの木がある。

産湯ヶ池に掛かる神橋を渡ると、石碑群、水子の地蔵。

剱坂を登ると境内。夫婦杉、沢山の狛犬がいる。拝殿木鼻は狛犬と象。境内社や硯が池など。

神社を下ると(途中に馬の墓がある)中学校に繋がる。

式年大祭は、江戸中期から続けられてきた。このうち、特殊神事は全国でもまれで、同社だけが原形をとどめる貴重な行事とのこと。 

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