短編小説「つきまとう影」

 正月から世間を騒がせている出来事がある。Y市で6人が立て続けに殺害された連続殺人事件だ。被害者は20代から50代の男女で、現在も捜査段階であり犯行の詳細な情報は公表されていない。

 山崎やまざきはY新聞社のニュースサイト『ヨコトピ』の記者である。ネットでバズった情報の紹介などを取り扱うことが多いが、最近はメインの取材チームにも随時加わるようになり、ヨコトピでも事故や事件を扱うことが増えてきた。業務は専らオンラインで行うことがほとんどだが、外回りの取材もまだ不可欠である。
 オフィス内に立ち並ぶモニターの中で、一つ無性にスクロールしているものがあった。山崎と同じチームである雨谷あまやのパソコンだ。開いているSNSのタイムラインに流れてくるデマと陰謀論の雪崩に彼は辟易していた。

 『6人とも外傷が一切ない。××××の影響だ!』
 『いや外傷はあるって出てたじゃん。しらんけど』
 『Y市M区って事故物件多いんじゃない? 心霊死だったりして』
 『そうです幽霊の怨念です。その証拠に私の降霊動画を。youtu.xx/xxxx』
 『いや集団自殺だよ』
 『真相を教えましょう。狐の呪いです』
 『アポロは月に行ってなかった』
 『女子高生の霊の祟りだよ』
 『地球は本当は平らです』
 『この流れだと霊能力者の登場くるか?』

 「地獄だ」
 雨谷が眉間を抑えて静かに呟いたところへ山崎が要件を伝える。
 「雨谷さん、K県警からの追加のPDF共有しといたんで」
 「ああ、サンキューです」
 「現場なんですけど、加害者、指紋も全部拭いてるらしいです。足跡も残さないように巧妙に及んでるんで、相当計画的な犯人みたいですね」
 「なるほど…」
 彼女の話を聞きながら雨谷は送られてきた資料を開く。殆どがテキストの羅列だが、所々でイラスト素材が挿入されている。
 「6件全て指紋も足跡もまだ採れてないんですか…。」
 「なんか用意周到で怖いですよね…。場所が近いから私も結構不安で」
 「そうですよね。…とりあえず次のドラフト、20時までに書き上げときますね」
 「ええ、お願いします」
 山崎が席に戻る。

 二人とも残業続きで疲労困憊だった。
 このオフィスは他企業と合同のシェアオフィスで、ビルのフロアを4分割したうちの一つがY新聞社に割り当てられている。更にその中の12畳ほどの縦長の小部屋がヨコトピ班のスペースとして設けられていた。
 部屋の短い辺の北側が出入り口で、南側が通りに面した窓である。東西の長い辺の両壁側にはデスクが配置されており、山崎と雨谷は背中合わせの斜めの位置に座っている。

 画面の前に戻った山崎は、開いていたグーグルマップに視線を戻す。そこにはこれまでの犯行現場の位置が洗い出されてまとめられていた。
 一連の殺人は、Y市の2つの区で行われていた。M区で5件、H区で1件だ。H区の最初の犯行現場が一番遠く、あとの5件は犯行が進むにつれて犯行現場同士の距離が近づいていっている。
 因みにY新聞社は、M区とH区に隣接するA区にある。

 ふと雨谷は部屋のドアが完全に閉まっていないことに気がついた。
 ヨコトピ班は社内でも新興のチームで人数も少なく、山崎と雨谷の他に二人しかいない。その二人とは交代で冬休みをとっており、二名とも出社していない。
 雨谷はおもむろに立ち上がりドアを閉めて、また席へ戻った。座席近くのライトスタンドのLED電球がチラついている。疲れからか、なんだか雨谷にはこの部屋には二人以外に誰かいるような感じがした。
 南の窓の方に顔をゆっくりと向ける。そのとき一瞬視界の中に人影が見えた気がした。ハッキリとは分からなかったが、もし人だとすると高校生くらいの若い女性のようだった。びくりとした雨谷は山崎の方を見る。山崎は何事もなくデスクに座って仕事をしている。気づけばLED電球のチラつきは収まっていた。
 雨谷は、疲労による錯覚だろうと思い直して、またモニターに顔を向けた。


 一週間後、M区のとある一軒家で火災が発生した。夜間の出来事で、騒然とするなか遺体の搬送と身元照合が進められていた。翌日になり、原因が放火であることと、見つかった三人の遺体が家の住人であることが判明した。

 社用車の中で、山崎と雨谷は疲れた顔をしている。連続殺人事件の被害者関係者らへの取材がここ最近重なっていたのだ。
 実務としてはK県警が捜査を進めているものの、それとは別に世間の関心に合わせて情報コンテンツを作る必要がある。被害者達の素性は既にマスコミの手によって世間に公表されており、有象無象の大衆によって彼らは消費されていた。Y新聞社もその社会構造の一端を担っていた。

 数日後、ヨコトピの記事が更新された。そこには、M区の放火事件と例の連続殺人事件に関連性があるとみて警察が捜査しているとの記載があった。
 被害者に関する情報も、申し訳程度に当たり障りのない文章で記載されている。というのも、山崎と雨谷が足を運び重ねたものの取材は十分に行えなかったのだ。
 このご時世、外で接触しづらいというのもあるが、関係者側もマスコミを煙たがった。なんとか被害者の仕事関係者や友人に突撃することができたが、関係者を敢えてこねくり回しに行くモチベーションが二人には無かった。
 そんなゴシップ路線から距離を置いた姿勢からか、ヨコトピは一部の間で評価されつつある。

 『最愛の息子奪われた父の本音 週刊××』
 『目の前が真っ白に… 被害者遺族その後 ××ジャーナル』
 『○○さん一家はなぜ悲惨な死を遂げたのか 現代△△』
 『令和最大の連続殺人鬼 そのプロファイル News××』
 『妻の死とメディアスクラムの罪 ○○ポスト』


 再びY新聞社のオフィスにて。
 「そんな…10人目ですか…」
 山崎は、しばし通話をしてから席に戻ってきた。
 雨谷が尋ねる。
 「どうしました? まさかまた…」
 山崎は雨谷に、たった今K県警から聞いたことを説明した。それによると本日未明、M区の公園にて紐状の物によって絞殺された遺体が発見されたらしい。県警は一連の事件との関連性を視野に入れて捜査を開始するとのことだった。
 「ホント物騒になってきましたね…。しかしまだこれだけだと同一犯だと断定できないですが」
 今までの一連の事件は全て刃物による殺害だった。民家の放火事件においても、刃物を使用した後に火を付けたことが判明している。いずれも縫合処置など二度とできない惨い切創によるもので、その大胆さは果然人間味を感じさせない無情な印象を捜査関係者達にあたえるほどだった。しかしそのディテールはY新聞社や世間には伝わらない。あくまで県警はせいぜいペラ一枚程度の資料を随時送りつけるのみで捜査の詳しい状況は外に漏れ出ることがないのである。

 「雨谷さん、これ見てください」
 山崎は自分でまとめていた資料を開いて見せる。
 「今回ので、直近5件が4キロ圏内に収束します。このA区のすぐ傍まで来てますね」
 それによると犯行現場の位置は更に近い距離へと範囲を狭めていた。
 雨谷が突拍子の無いことを言ってみせる。
 「本当に全て同一犯なんでしょうか…」
 「県警もあくまでで追ってるだけではありますけど、やはり最初の刺殺6件をみてもかなり同一犯じゃないですかね。」
 「…まあ、県警の少ない情報を当てにするしかない…か」


 翌日、雨谷は山崎の待つオフィスへ帰社すべく社用車に乗っていた。強い雨がフロントガラスをしきりに叩く音がワイパーの動作音と共に音楽を産んでいる。
 途中でM区内のコンビニ駐車場に停めると、車から降りてレインコートのままコンビニへ入っていく。数分すると買ったものを手に下げてまた車に乗り込んだ。
 山崎も雨谷も疲れが溜まっている。Y新聞社の人間も、K県警の人間も、世の中の事件に常々頭を悩ませ疲弊している。

 ペットボトルの清涼飲料水を飲みながら雨谷はボーッとしていた。薄暗い駐車場にはコンビニ店内の明かりのみが降り注ぐ。
 ふと雨谷は後方に人の気配を感じる気がした。しかしバックミラーには何も映っていない。段々と気配が大きくなってゆく。そしてとうとう自分の後頭部のすぐ傍に何者かの気配があるのを感じる。車内のライトをつけようと手を動かすも、気力が無くてなかなか動かない。
 以前もオフィスでなった感覚だ。あの時はすぐに終わったが、今回は更にハッキリと気配を感じる。
 「…」
 雨谷は意を決して手を伸ばし、ライトのボタンを押すと同時に後ろを振り返った。
 明るい車内の中には雨谷しかいなかった。後方に感じていた何者かの気配も既に消えていた。
 しかし一瞬だけ、映像でいうと2フレームほど目の前に映っていた。それが髪の長い少女だと認識した瞬間に目の前から消えた。雨谷はしばらく車の中で硬直していた。
 「まさか…」

 山崎の元へ雨谷が帰社してくる。雨谷は先ほどのこともあり無心の表情だ。
 モニターを見つめる山崎が沈黙を破った。
 「考えたんですけど、被害者に共通点って無いんですかね?」
 雨谷がくたびれた顔で話を聞く。
 「というのも、被害者の年齢や性別、職業はバラバラですけど、10人中5人は…26歳から27歳と近いじゃないですか」
 ライトスタンドの光が部屋の壁に二人の影を作る。
 「共通点ですか…。みんなY市出身ということしか」
 「…私も雨谷さんも、Y市生まれですよね」
 「ええ。僕はM区出身です。ていうか山崎さんて僕の2つ下だから…27歳?」
 雨谷が魂の抜けた表情で何か考えを巡らせている。
 「まだ26ですけど、たぶん今言った半数の被害者とは学年が同じですね」
 山崎は静かに言葉を続ける。
 「学年…。そうだ、10人中5人が、同じ学年なんだ」

 雨谷が台詞を漏らす。
 「話変わりますけど、さっき来る途中…」
 「ん?」
 「心霊現象みたいな話なんですけど…。コンビニの駐車場で休憩してたら、車の中に人が…」
 「え? それ強盗じゃなくて?」
 「いや、電気をつけた瞬間パッと消えたんですよ。これ本当の話なんですけど」
 一瞬、言葉の応酬が熱を帯びる。
 「それはちょっと休んだほうが…」
 「僕は、狐の霊にでも狙われてるんでしょうかね…」
 「しっかりしてくださいな。霊なんて心の中のものですよ」
 そう軽く笑いながら雨谷を元気付ける山崎の中にも、言いしれぬ不安のような、静かな胸騒ぎがあった。
 「では明日はちょっと休みをとらせていただきますね。山崎さんもちょっとぐらい休憩したほうが良いですよ」
 そういうと雨谷はそそくさと帰ってしまった。


 次の日、オフィスには山崎のみが出社していた。
 仕事とはいえ凄惨な事件ばかり扱っていると心が挫けそうになる。大衆の消費欲に沿った商品を書かなければならない。そんなことよりも猫やアザラシの記事ばかり書いていたい。自分はこの仕事に向いていないのだろうか、そんな悩みが山崎の中に今はある。
 乾燥した空気が扁桃を撫でる。この体調ではそろそろコロナに罹ってもおかしくないだろう。

 山崎は、何となしにヨコトピのSNSアカウントを開くとダイレクトメッセージが来ていることに気がついた。
 『連続殺人事件について知っています』
 山崎はハッとして、考えるよりも先に指を動かした。
 『詳しくお話し伺えますか?』
 コンタクトを送ってきた主と少しメッセージのやりとりをしたところ、いたずらやデマの類ではないということが分かった。どうやら相手は一連の殺人事件の被害者を知っているらしい。詳細に話を伺うため、アプリの通話機能でやりとりすることとなった。

 通話が始まり相手が喋り始める。
 「佐藤と言います。あ、いま拡散されている記事なんですけど、見ましたか?」
 「ええ。一家放火事件の被害者が、10年前にいじめで女子生徒を自殺に追い込んだというやつですよね」
 「はい。あれ本当なんですよ。ネットではまだ一家の件しか出てないですが、実は一連の事件の被害者全員がいじめグループのメンバーと関係者達なんです。私は当時の関係者とは学年が違うんですけど、当時学校で騒ぎになったので知っている情報をお話しできればと思い連絡しました」
 「お忙しい中、ありがとうございます。当時の経緯なんですが、順を追って最初から言っていただけますか?」
 佐藤が説明を始める。
 「10年前に、M高等学校で女子生徒が自殺した事件があったんですよ。当時の相関図を作ろうと思ってるんですけど、全員の名前が分からなくて…。えっと、とにかく、正月からの一連の殺人事件の被害者は、当時のいじめグループのメンバーとその家族、いじめを隠蔽した学校関係者なんです」
 山崎がぼんやり抱いていた予感は的中した。
 「やっぱりそうなんですね。被害者の半分が同級生ではないかと考えていましたが。もう半分は家族や学校の先生…」
 「はい。いじめグループのメンバーはもう殆ど殺されてしまいましたが、1人だけ生きている人がいるんです」
 「その人が最後…?」
 「はい。その人がグループの主犯で、確か『あっくん』とか『たっくん』って呼ばれてた男子なんですけど、多分その男性が最後のターゲットかと…」
 「その人を助けなければ…」

 山崎は話を聞きながら手元のパソコンで検索を行うと、タイムラインに流れてくる情報の雪崩を全身に受けた。

 『【拡散希望】放火殺人事件の被害者は10年前に集団いじめで少女を自殺に追い込んでいた!』
 『虚無速報☆ 当時いじめを隠蔽した学校関係者の信じられない発言がこちら』
 『M区一家の放火惨殺はのうのうと暮らしていた天罰だな』
 『霊の怨念を予言したやつ天才すぎw』
 『放火被害者の顔と名前を特定した。twimg.xxx/xxx』
 『他の被害者達は? そいつらも天罰?』
 『JKの当時の写真まだか』

 浅はかで無教養な電子世界の主人公達がゴシップポルノで溜飲を下げるその音は、山崎には小鳥のさえずりにはとても聞こえない。蜚蠊ごきぶりの羽音のようだった。

 山崎は更に佐藤の話を聞きながら、M高等学校のいじめ隠蔽事件について検索すると、ヒットしたページを片っ端から開いていった。


 M区のどんよりとした雨雲の隙間から斜陽が差し込み、オレンジとグレーの得も言えぬ光のカーテンが降りている。
 雨谷は降り出す雨に備えるようにレインコートを着込んでいる。
 今、彼にはそのがはっきりと見えている。ここ最近自分の前に姿を現す少女の霊が今日は視界から消えずに自分の方へと近づいてくる。はっきりと、顔を見せて。
 そして雨谷はM区の住宅地を走り抜けた。自分の足音と重なって少女の足音が響き渡るのを耳にしながら。


 ヨコトピのオフィスにて、山崎は佐藤との通話をつなぎながら記事のアーカイブを漁っている。どこの馬の骨とも分からない改変された情報源ではなくて、一次ソースを発見したかった。
 「佐藤さん、いじめの件の関係者で他に分かってる名前ってありませんか?」
 「すみません、全員知っていればお伝えできたんですけども…」
 そうする間に無情にもトレンドはゴシップに汚染されていった。

 『拡散希望 連続殺人事件の被害者、全員いじめ関係者だった』
 『最後の主犯もM区の出身らしい。殺されるのも時間の問題だな』
 『霊の怨念! 映画化決定!』

 検索をしていると知恵の輪が解けるように目的の情報がヒットすることがある。山崎はとある記事にたどり着いていた。テイストとしてはゴシップ系の編集部の記事だが、情報の内容自体は確かなものだろう。
 記事は、10年前に女子生徒のいじめ自殺を告発したものであった。
 『201☓年☓月☓日 Mヶ台高校の生徒が自殺 学校がいじめを隠蔽』
 山崎は更にページをスクロールする…。


 M区の曇天の下、夕日の赤い波長の光がまだ僅かに残っている。景色は明かり以外の部分が赤黒く落ち込みシネマティックなコントラストを産んでいる。
 薄明かりの中で標的を追うその影は誰の目にもハッキリと見えるものだった。
 そしてついに影は標的の前に立ち塞がる。ようやく見つけた獲物の目の前に。
 「うあ!」
 標的の最後の言葉だった。
 影の主は何の躊躇いもなく標的の男の胸に包丁を突き立てる。絶叫を周囲に響かせながら血がドクドクと男の胸から溢れ出てくる。更に胸から引き抜いた包丁を男の首にも突き刺す。
 降り出した雨と男の血が混ざりあい、辺り一面に大きな赤黒い海ができていた。


 ヨコトピのオフィスにて、山崎はスクロールの手を止めた。
『自殺したのは、雨谷結衣さん当時17歳』
 山崎は息を呑んだ。 

 M区の雨雲の下、赤く染まったレインコートに身を包んだ影の主には、高校生くらいの少女の霊が見えている。最後の殺人を終えた彼は心の底から解放されていた。
 「終わったよ」
 雨谷は妹の幻影に笑顔で告げた。

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