あとがき(3完)

今まで、実務的な知識について色々な例を挙げて説明しましたが、マクロ的な視点も重要ですので、事業戦略を作る際に役に立つと思われる今後の社会のトレンドに関する参考情報を紹介しておきます。

第1に田坂広志氏の著書3冊
1. まず、戦略思考を変えよ (ダイヤモンド社)
2. これから何が起こるのか (PHP研究所)
3. 目に見えない資本主義 (東洋経済新報社)

注意してほしいのは、今後の方向が実現する時期について言及されていないことです。流れがいつ変わるのか、どの程度変わりつつあるのかの判断は、皆さんのしっかりとした現実観察に基づくことが必要です。

第2に機関投資家の見方を知っておくことも意味があるでしょう。世界最大の資産運用会社ブラックロック(Black Rock:運用資産1,000兆円)の会長兼CEO ラリー・フィンク(Laurence D. Fink)は、毎年同社の投資先企業のCEOに宛てた手紙を出していますが、2020年には気候変動、2021年にはゼロ・エミッションがテーマになっています(日本語版は、ブラックロックジャパンのHPで読むことができます)。
日本でも機関投資家が投資先の企業にESGを重視すると公表しており(*)、今後投資アナリストや格付け機関も環境対策を重要な判断材料の一つとする方向になっています。
(*)2021年1月28日 野村アセットマネジメントのニュース・リリース及び2021年3月5日 日経新聞朝刊第一生命の保有株見直し方針

なお、世界及び日本のカーボンニュートラルに関する動きについては、経産省「2050年カーボンニュートラルを巡る国内外の動き」(令和2年12月)及び「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」(令和2年12月25日)を参照してください。
カーボンニュートラルに関する日本の現状と課題の具体例については、2021年3月3日付日本経済新聞朝刊「経済教室 電機業界生き残りの条件㊦脱炭素、過去の教訓に学べ」(立命館アジア太平洋大学名誉教授中田行彦)を参照してください。

第3に公的金融機関の環境問題への取り組み例としては、アジア開発銀行(Asian Development Bank:ADB)が中期計画の優先課題の一つとして2030年までに全プロジェクトの75%に気候変動・防災対策を盛り込むこと、2019年から2030年までに800億ドルの気候変動対策を実施することを決めています。(2019年9月に公表されたStrategy 2030 Operational Plans Overviewも参照してください。)
2020年1月に発行したAsia’s Journey to Prosperity(ADBのHPからDownloadできます。2021年中には日本語版も出る予定)にはアジア諸国の開発の歴史、課題及び組み方針も書かれています。
このほか、中央銀行の動向としては、「気候変動リスク等に係る金融当局ネットワーク(NGFS)」があり、金融の安定を脅かす気候変動リスクがあるとのコンセンサスが生まれつつあるとのことです(2021年5月13日日経新聞朝刊 グローバルオピニオン)。

第4に商業銀行の動向ですが、日本ではサステナビリティ・リンク・ローン等でESG対応を支援し始めています(メガバンクでは2030年までにESG関連で55兆円の投融資を目標にしています)。

消費者の意識の変化についてはどうでしょうか。
KPMG Internationalが2020年6月にリリースした調査レポート「消費者と新しい現実(Consumers and the new reality)」では、世界の11各国・地域(*)での意識調査の結果をレポートしています。全世代で、 (1)友人や家族とのコミュニケーションで使用するチャネルとしてメッセンジャーアプリやソーシャルメディアに関心が向かっている。(2)ブランドへの信頼の構成要素として、個人の安全(企業と関わっても安全か、企業が利益よりも消費者である自分の健康を優先すると信頼できるか、自分の個人データは安全か)、環境や社会に対する義務に関して企業は信頼に足る行動をとっているかといった点に関心度が高く、特に今後消費者のメインになる18才~44才の消費者にこの傾向が顕著であるとしています。
(*)米国、ブラジル、英国、カナダ、フランス、スペイン、イタリア、ドイツ、日本、オーストラリア、香港、中国

さて、企業を取り巻く事業環境は以上で述べた通りですが、これらのトレンドは企業にとってどのような意味を持つのでしょうか。2021年5月26日の日経新聞朝刊に、「『優等生』東京ガスの乱」という記事がありました。東京ガスは脱炭素のための投資が巨額になるので株主還元を縮小するという方針を発表しようとしていたのですが、投資家からは株主還元を縮小せずに脱炭素を達成すべきであるという意見が出ました。企業は株主還元を縮小せず、脱炭素を実現し、且つそのための投資をするだけの収益を上乗せするという課題に直面しているということです。結局のところ、現時点では脱炭素のためのコストを誰が負担するのかという点について企業、投資家、消費者のコンセンサスが得られていません。2021年5月31日の日経新聞朝刊に、「NIKKEI脱炭素(カーボンZERO)委員会第1回円卓会議」の記事が掲載されていました。カーボンZERO委員7人のうち、脱炭素のためのコストを誰が負担するかと言う観点も含めて意見を述べていたのは、産業技術総合研究所エネルギー環境領域ゼロエミッション研究戦略部の田中加奈子氏のみで、他の委員の議論はまだ「観念論」の域を出ていないと感じました。危機管理の専門家佐々淳行氏は、危機管理でまずやらねばならないのは、予算措置(費用の確保)であると言われてました。脱炭素技術が産業構造転換の起爆剤になり、新たな成長をもたらすことになればめでたしめでたしですが、当面投資効率の悪い脱炭素技術のために企業が投資を行うことに対して、株主(投資家)がどう考えるのかつまり誰がコストを負担するのかという点についてのコンセンサスが出来上がるには長い時間がかかりそうです。

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