家族について

 父について語りたい。
 私の父は今年で54になる会社員だ。大食漢で巨漢。ヘビースモーカーだったが私が生まれてから何度も禁煙している。先祖を篤く敬い、自らも家系を継ぐ人間だ。仕事人間でほとんどの時間を仕事に費やしている。
 父は滅多に私と関わらなかった。関われなかったといった方が正しいと思う。私の幼少の記憶の中の父は、寝ている姿か休日にも関わらずパソコンに向かっている姿である。よくある型の家族における休日の過ごし方、つまり行楽地に連れて行ってもらった記憶など片手に収まるくらいである。私も外に出かけることが好きなタイプではなかったから、駄々をこねた記憶などもない。夏はタンクトップで、冬はベンチコートにニット帽で家のパソコンに向かう背中が私の記憶である。そしてその父を母は献身的に支えていた。
 私は尊敬する人物を聞かれたときに「親」と答えるような人間は好きではない。だが悔しいことに私の最も尊敬する人物は父親なのである。いつも文句も言わず背広姿で家を出ていく父を私は誇らしく思っていた。それは今も、将来も変わらないだろう。
 父は私が中学生の時に死んだ。心筋梗塞だった。
 死ぬ2年ほど前だっただろうか、父は珍しく夏休みを取り、私と工作をしてくれた。ガンラックを作ったのだ。当時私はエアソフトガンに凝っており、多数収集していた。男二人でホームセンターに行き、材料を買い、検討を重ねた。楽しい時間だった。あの日の高い青空ですら、今でも思い出すことができる。
「今までこんなこともしてこなかったから」
そんなことを車の中で言われた。その時は何も気に留めなかったが、父は死期を悟っていたのかもしれない。
 父の死から4年がたった。夏の思い出からは6年である。私は大学生となり、こうして父との記憶を振り返ることができるようになった。いまだに死の事実は鮮明ではない。むしろ死んでいることなど忘れてしまいそうだ。もう少ししたら玄関を開けて帰ってくるのではないだろうかといつも考えている。もし帰ってきたら話したいことが沢山ある。乗ってもらいたい相談が山ほどある。
 しかし、そんなことは私が死ぬまで起こらないのだ。私の肉体が土に還り、その魂が父の横に逝くまで、そんなことは起こらないのだ。その事実をかみしめる時、荒れる海のような灰色の悲しみが私の心に去来する。
 高く、青く、一尾のたなびく雲を載せたあの夏の日の空のように、父は気高く生きたと思う。私はその一風景を最も近くで、しかしながら間接的に、観察することができた。私は父があの人で本当に良かったと思う。私もかく在りたい。この尊敬を持たせてくれた、持てるような姿をしていてくれた父が大好きだ。
 以上、我ながら纏まらない文章だが、父についての駄文であった。

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