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太陽と鉄と乳清

先日、タレントの小島瑠璃子が筋トレを否定する発言をしたとしてトレーニー界隈で話題になった。件の発言があったインスタライブから問題の箇所を抜き出してみる。

「筋トレっていうことが世界で一番意味わからない」
「そんな筋トレに使う時間あれば格闘技とかやれば能力と筋肉が同時に付くのに(注:小島が納得させられたというマンガのセリフを引用して)」
「どうすんの、見かけだけのムキムキ。どこをどう攻撃すればいいかわかんないからさ、暴漢に襲われたときに、あぁぁーって(恐慌をきたす演技をしながら)」

否定というよりもはや馬鹿にしているかのような発言だが、これを聞いて怒るトレーニーはいないのではないか。なぜならこうした言葉は耳が腐るほど聞いてきたからである。「何の目的で?」「何か得するの?」「どこに向かってるの?」。

こうした質問に対して、私なら「トレーニングとは手段ではなくライフスタイルだから」と答える。それを聞いてなお興味を持ってくれる人がいればいくらでも説明するが、大方は曖昧な笑みをもって会話が終わる。実は小島がしたような発言より強力にトレーニーを不快にさせる地雷は別にあるのだが、それはまた後で紹介することにする。

とまれ、今回の小島発言には非常にがっかりさせられたのも事実である。なぜなら彼女のようにスポーツ番組に出たり自身もボディメイクに努めているような人がこんな初歩的な誤解をしていることが意外だったからである。彼女の誤解は次のように腑分けできるのではないか。

ⅰ)見かけだけの筋肉があるという誤解
ⅱ)競技をやっていれば筋肉がつくという誤解
ⅲ)筋トレ(ボディビル)はスポーツではないという誤解
ⅳ)筋トレには目的があるはずだという誤解

私は半端者のトレーニーでしかないが、それでも日常的にトレーニングについて考え、実践しているphilo-traningな人間として上記の誤解に簡単に答えてみる。

ⅰ)見かけだけの筋肉があるという誤解

→ 筋力は筋断面積に比例するので、筋肉で腕や脚が太くなればそれだけ発揮できる力も大きくなる。したがって「見かけだけの筋肉」というものはない。

ただし筋量(重さ)は体積を求める式で表せるので、単純計算すれば筋断面積が110%になったとき筋量は121%となる。つまり発揮できる力よりも体重の方が増えてしまうのである。こうなるとバスケやバレー、ブレイクダンスなどのパフォーマンスにおいては筋量アップがマイナスにもなる。逆に相撲やハンマー投げ、あるいは単純なパンチ力ならば筋力アップはダイレクトに成績向上につながるだろう。要はスポーツパフォーマンスに限るならば競技特性に応じた筋力が必要だというだけの話である。

ⅱ)競技をやっていれば筋肉がつくという誤解

→ これは小島瑠璃子自身も「目的がある途中が筋肉のトレーニングってすごい納得するんだけど」と発言していたように、完全な誤解があったわけではないだろう。ただし現代スポーツにおいては格闘技から卓球、長距離走に至るまであらゆる競技でレジスタンストレーニング(いわゆる筋トレ)が取り入れられていることまでは知らないのではないか。

スポーツパフォーマンスの基礎の一つは「力(筋力)」である。ただし同様に基礎の一つである「動き」などと筋力は同時に鍛えるのが難しい。たとえば野球の投球やゴルフのスウィングは力を入れれば入れるほどうまくいかないが、これは動きを作るための神経の働かせ方と筋力を発揮するための神経の働かせ方が異なるからである。だから技術トレーニングと筋力トレーニングは別々に行う必要がある。

ちなみに小島瑠璃子が「見かけだけのムキムキ」は暴漢に襲われたときに何もできない、と言ったとき、彼女の話を聞いていた板野友美が「スポーツで鍛えてもさ、どこをどう攻撃したらいいかわかんないじゃん。そのためのトレーニング必要でしょ」とすぐさまツッコんでいたのには感心した。

スポーツパフォーマンスの基礎は大雑把に言っても「戦術」「技術」「体力」「メンタル」などの要素に分けられる。そして近接格闘技において相手に有効な攻撃を行うためには打撃や組技の戦術・技術トレーニングが必要である。板野友美はこうした思考が自然にできていると思われる。

ⅲ)筋トレ(ボディビル)はスポーツではないという誤解

→ 根本的に小島瑠璃子の目を曇らせている誤解はこれではないか。筋トレを競技化したもの=ボディビルは確かに彼女がスポーツとして想定する「格闘技やラグビー」といったカテゴリーには収まらない。ボディビルとは見た目の美しさやポージングの芸術性を競う〝フィギュア系スポーツ〟の一種である。つまりフィギュアスケートや体操、競技ダンスといった種目に近い。

実際にポージングの練習はフィギュアスケートのようにコーチをつけて行なうし、選手たちは大会の採点基準を見据えながら戦略的にターゲット部位を鍛えていく。競技者ではなくても大きな筋肉を持つトレーニーはみなトレーニングの動きが美しく、ファンクショナルな能力や柔軟性にも優れていることがわかる。

権威がお好きならば、ボディビルは綱引きや合気道といった種目とともに「ワールドゲームズ」に参加している競技であることを知れば見方が変わるだろうか。ついでにボディビル界で最も権威ある団体であるIFBBはIOC承認団体でもある。

個人的には、ボディビルは日本のアマチュアスポーツの中でも最も早くドーピングテストを実施したという点に誇らしさを感じる。

ⅳ)筋トレには目的があるはずだという誤解

→ 最も根深い誤解である。確かに筋トレを始めるにあたって人それぞれ達成したい目的はあったと思う。体を大きくしたいとか、モテたいとか、健康になりたいとか。私は睡眠障害の克服のためであった。

ちなみにボディビル世界大会6連覇を果たしたアーノルド・シュワルツェネッガーは、「鏡で自分の裸を見たとき、股間のイチモツだけ大きすぎたので、バランスを取るために体を鍛えたんだ」と嬉しそうに話していた。

しかし筋トレをやってみて誰しもが思うのは、目的を達成する手段としてはこれはあまりにも効率の悪いということである。毎度立てなくなるほど筋肉を酷使し、味気のない鶏肉を頬張り、日々解剖学や栄養について学ぶ。こうして長大な時間を費やして週6でトレーニングしたとしても、日本人が1年で増やせる筋肉量はせいぜい3kgだと言われている。

これはもうトレーニングそのものが好きではないと絶対に続けられない。より正確に言えば、トレーニングについての学習・実践・休養というライフスタイル自体を愛することができないとトレーニーにはなれない。だから「何の目的で?」と問われれば、「トレーニングとはライフスタイル」であり「それを愛しているからだ」と私は答える。

ではなぜトレーニングを愛しているのかといえば、それが私の好きな世界だからである。正しく学び、正しく努力すれば必ず結果が出るという筋トレは、複雑で不条理な社会や偶然性に支配されるこの世界においては奇跡のような理想郷である。だから目的がなくても、効率が悪くても、人より才能がなくても、自分なりに毎日少しでも成長できる筋トレは私にとって重要なものなのである。

さて、こう書きながら温かい気持ちになったところで、先に予告した強力にトレーニーを不快にさせる一言を紹介したい。それは「プロテイン飲んでるから筋肉あるんだ」である。

私はこの言葉を聞いた瞬間、相手に筋肉とニュートリション(栄養)の関係について小一時間説教をかました上で、ジムに拉致して6種目60分で脚を重点的に追い込み、翌日は筋肉痛でベッドから起き上がれないようにした上でその一週間後に「また同じ苦痛を味わう勇気があなたにありますか?」と問うてみたくなるのだ。

筋繊維は、高い負荷をかけて強く刺激したとき、栄養(タンパク質)を使ってより強く大きくなろうとする。もし高負荷のトレーニング抜きで過剰にタンパク質=プロテインだけを取れば太るか腸内環境を悪くするだけである。つまり「プロテインを飲んでいるから筋肉がある」という誤解は、トレーニーの必死の努力をネグレクトする最上級の侮辱なのである。

これだけ読んでもまだ納得のいかないことがあるならば、あなたも一緒にトレーニングしてみませんか?

(参考)
石井直方『トレーニングをする前に読む本』
増田 晶文『果てなき渇望』
井上大輔「検証!ファンクショナルエクササイズ」(『IRONMAN』連載)
鈴木 志保子『基礎から学ぶ! スポーツ栄養学』
小峯 隆生『コミネのハリウッドメジャーリーガー交遊録』

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