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答えに完成はいらない 〜日光東照宮からのメッセージ〜

自分たちの中でしょうがないと決めつけてしまっているんだ。

いつも僕のnoteを読んでくれている人なら分かるだろうが、上の文は前回の記事の最後の文だ。

しょうがないと決めつけること。
それはつまり答えの捏造(ねつぞう)だ。

この前、電車の中で大きな声で電話しているサラリーマンがいた。
その時はうるさいなと迷惑に感じた。
しかし、「この人はこれまでに電車でのマナーを教えてもらえなかった可哀想な人なんだな。周りが迷惑している事に気がつかない人なんだな。」と僕が勝手な事実を作れば、しょうがないと決めつけ、自分の答えが救われる。

これこそが答えの捏造だ。

自分の不安やイライラを解消するために答えを捏造し、「こいつはこうだ。だからこんなことをするんだ」と自分に言い聞かせる。本人たちに聞いてもいないのに、ある程度の素材だけで決めつける。
許せないことを許そうとするために。
それをよく表している言葉が「許せる」だ。

自分の好きなタイプのイケメンが調子に乗る。
彼はイケメンだから許せる、と。
普段なら許せないはずなのに。
「イケメン」が許せない事を許せる理由になる。

あなたは日光東照宮を知っているか?
日光東照宮の陽明門は逆柱というものがある。柱の中の1本だけ、彫刻の模様が逆向きになっている。しかしこれは誤って逆向きにしたわけではなく、「建物は完成と同時に崩壊が始まる」という伝承を逆手にとり、わざと柱を未完成の状態にすることで災いをさけるというメッセージだ。

未完成のまま、完成に向かって答えをつき詰めるが完成はさせない。
完成には答えの捏造が入ってしまう。
答えなんてない。
答えを持つと、「私の若い頃は〜。お前らは〜。」と言い出し、老害と呼ばれてしまう。

答えを完成させないことは、不安だ。
答えなんて捏造してしまえば安心を手に入れることができる。
だからといって安心を探す事もしない。
スーパーでの買い物のように、焦って決める必要はない。
迷うことを、考え続けることを、答えを探す旅を、大切にしなくちゃ。
もっと時間をかけて。

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