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『暴走社長の天国と地獄 大分トリニータv.s.溝畑宏』

虚と実、光と影、本音と建前の交錯する男である。欠点の多い男であり、隙の多い男である。人なつっこく出たがりで、その分、脇の甘い男である。

本書では溝畑宏はこのように表現されている。

おそらく30代以上の大分県民はこの顔を見たらピンとくるはずだ。選手の中心でぎこちなく舞う、どこか親しみやすい風体の男が溝畑宏その人である。

彼は、グラウンドもクラブハウスもない、選手もいないところからチームを立ち上げ、キャリア官僚の職を辞し社長に就任。15年でナビスコ杯優勝を達成し「地方から夢を追って実現させた男」と称賛された。そんな矢先、放漫経営による何億もの債務超過が発覚し「ずさんな経営者」と呼ばれ批判の声が高まると、社長を辞し観光庁の長官に栄転した。

一行政職員にすぎない溝畑宏が、たったひとりでなにもないところからプロサッカーチームを作り、命懸けで他人を巻きこみながらチームを日本一にしていく姿。そしてその後、足をすくわれスポンサーが離れていき、ついには辞職に追いこまれるまでの顛末は、読んでいて胃が痛くなるほどだった。

正直ぼくは、溝畑宏という男にあまりいい印象を持っていなかった。キャリアも生活もめちゃくちゃにされた監督や選手が不憫でならなかったのだ。ところが本書によると監督や選手は「最後まで自分たちを守ろうとしてくれたのは社長」と言っていたという。本書を読んでいくなかで、ぼくが抱いていた悪印象の一部は誤解によるものだと分かった。

溝畑氏は当時、まるでトリニータを食い物にしているかのような扱いを受けていた。飄々とした性格と露出の多さゆえ、地元メディアの格好の批判の的とされていたのだ。

将来が約束されたキャリア官僚が債務超過の中小企業の社長を引き受け、チームを日本一にするまでには1億近い私財を投入していた。愛する両親が亡くなったときもトリニータを優先し、死に目にあっていない。妻とも離婚した(これに関してはトリニータに関係ないかもしれないけど)。

だからなんだと言われたらそれまでだが、彼が本当にあそこまで批判されなければならなかったのか、印象論ではなく冷静に見つめ直す必要はあると思う。ワンマン経営で、私物化と言われてしょうがない状況だったとはいえ、彼だけにすべての責任を押しつけて被害者面をするのはフェアじゃない。


本書で一番印象に残ったのは、なんといっても第二章の「スポンサーたち」である。

地方でスポンサーを集めるのは大変だと知っていたが、ここまでだったとは……。キャリア官僚が汗水垂らし「ドブ板営業」で県内外からスポンサーを引っぱってくる様は、無様ですらあるが、その必死な姿は相手に伝わるもので、大物起業家から数千万、数億の支援を取りつけている。彼以外にはできない芸当だ。令和だったら即コンプライアンスに引っかかるような手も使っていて笑ってしまった。


飲みの席で急に尻を出したり陰毛を燃やしたり夜中に急に部下に電話をかけたりするような幼児性。不可能を可能にする誰にも負けない思いと行動力。身の丈に合わない買い物をしてからカネを稼ぎにいくような大雑把さ。叩かれても嫌われても全部自分で引き受ける愚直な献身性。

どうも掴みづらい溝畑宏の輪郭が、本書の『カンブリア宮殿』の件でハッキリと見えた。溝畑の出番が終わったあと、番組の司会者である作家の村上龍が次のようにコメントするのだ。

「収録前に挨拶に行ったらハグしてこられたんですけど、溝畑さんの目が笑っていないんです。あれは明るい、おちゃらけたパフォーマンスを必死になってやっているんですね」

作家の目は、スポンサーや部下、もしかすると身内でさえも見抜けていなかったであろう彼の本質を、深々と射ていた。


溝畑宏がトリニータを離れて約10年が経つ。

溝畑時代の負の遺産を清算するための10年だったとも言える。トリニータは一時、J3に降格した。J1でタイトルをとったクラブがJ3に降格するのは前代未聞のことである。

しかし片野坂知宏というキーマンの手により、トリニータは着実にカテゴリーを上げ、2019年には再びJ1の舞台に返り咲く。のみならず9位という堂々たる順位でフィニッシュした。

溝畑氏はいま、あれほど人生を捧げていたトリニータにまったく関わっていない。トリニータのためにあえてそうしているのかもしれないし、まったく興味がなくなったのかもしれない。若いトリニータサポーターのなかには、一からクラブを作りあげた功労者の存在を知らない者もいる。

当時、社長として経営のミスはあったかもしれない。けれど背任などの法的な責任はなかった。犯罪を犯したわけではないのだ。

率直に言うと、クラブやサポーターたちが築きあげてきたものを一度スタジアムに観に来てほしい、とぼくは思っている。そして彼の思いもちゃんと県民に語ってほしい。当時なにを考えていたのか、いまなにを考えているのか。彼がトリニータに関わった15年と、その後の人生から学ぶことは多くあるはずだ。

大分トリニータは貧乏地方クラブにすぎない。最小の予算規模で、J1という舞台でまたしても分が悪い戦いを挑もうとしている。

かつて、グラウンドもクラブハウスもない、選手もいないところから日本一のチームを作りあげた男がいた。溝畑宏という。

印象が悪いのは否めないし、大人の事情があるのも承知の上で、コロナ禍という未曾有の大混乱に見舞われているいま、彼の力を借りない手はないとぼくは思っている(了)


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