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これぞ求めていたシン•エヴァンゲリオン

 昨日3月8日、私は朝から仕事が終わり映画館に向かう事を心待ちにしていた。理由は9年ぶりに「エヴァンゲリオン」の続編が公開され、そして26年前から始まった名作の幕を閉じる瞬間をいち早くスクリーンで見届けたかったからだ。

▼エヴァンゲリオンという作品との出会い

 今から約10年前、当時私がまだ高校生だった頃にその作品に出会った。ある年の夏の事、私はせっかく始まったばかりの高校生活の夏休みなのにも関わらず大学病院のベッドの上にいた。

 数時間に渡る手術を受け、疲弊してベッドで横になっている時にお見舞いに来てくれた親父が1枚のDVDを持ってきてくれた。「ヱヴァンゲリヲン新劇場版 破」のDVDだ。親父が家に帰った後、何気なく暇潰しにと思いそのディスクを再生した。

衝撃を受けた。

 幼少期に初めて仮面ライダーやウルトラマンを見た時と同じような熱狂的な気持ちになった。物語の展開、映像、画角、BGMのカッコ良さどれをとっても素晴らしかった。

 それから病室を抜け出しコンビニでたまたま売っていたエヴァ二号機の食玩のフィギュアを購入した。それぐらい感情が抑えきれないぐらいに熱狂した。私がエヴァに出会ったのはこの時だった。

▼理解に苦しんだ10代

 私は当時あの作品の中枢で描かれているメッセージを読み解けずにいた。それもそのはず、あの頃の自分はまだ情緒も幼く、人生経験があまりにも浅かった。

 エヴァンゲリオンの魅力は謎の敵との交戦の最中、パイロットをはじめとする登場人物の感情模様がテーマのひとつである。

 思春期の他人との関わり方の難しさや裏切り、恋心のようなものなど何かはわからないのだが、モヤモヤする逃げ出したくなるような、ある意味人間らしい感情の渦がエヴァでは生々しく表現される。当時の私は自分の感情の理解も教養もないのだから到底理解が出来るはずもない。

▼10年の経験を経て向き合ったシン•エヴァンゲリオン

 一言で表すととても幸せな時間だった。

 贅沢なコース料理(ディズニーランドのブルーバイユーレストランのような料理)をじっくり味わっているような感覚に近いと感じる。物語は「エヴァの世界と登場人物たちの心情の補完」と共に終局に向かうのだが同時に10年間、様々な経験を経て「続編の公開を心待ちにした我々視聴者の心も補完」してくれるような作品だった。10年のフリもあってかこんなにも映画を見て腹一杯満足したのはいつぶりだろう。仕事後で寝ないか心配だったが上映時間の2時間34分はあっという間に感じた。それぐらい丁寧に作り込まれた作品であった。

 ところが私はこの作品を見た方はキレイに賛否分かれる気持ちになるだろうと感じた。鑑賞している途中でそうなるだろうと悟った。案の定、放映後のトイレにいる時、「あぁ眠かった」「俺、途中でついてなくなった」などの若者達の声が聞こえてきた。

 そして気づく、満足気に静かな気持ちで帰っていったのは中高年の方の方が多いのではないかと。この作品を昔から大事に愛して鑑賞している人程、じわっとくるものがあると確信している。

 これらは私の主観で感じた事であり、決してこの差があった事を言いたい訳ではない。きっと前者の方達は様々な経験を経た後にもう一度この作品を見たとき、より味わい深い気持ちになるではないかと思う。

 10代の頃、作品の理解に苦しんだ私は20代になり、古事記や世界の神話に触れた。社会でツラい事もたくさん味わった。今となってはエヴァンゲリオンという作品が伝えたかったメッセージがめちゃくちゃ伝わってくる。庵野さんの伝えたい気持ちがガンガン伝わってくる。そして気づく、私もあの頃よりは少しは成長したんじゃないかと。

              2021年3月9日 健太郎

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