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トライリンガルなモーフィアス

どうやら15年近く勤めてきた会社を退社することになりそうだ。
アラフィフの年齢や貧弱なスキルを考えると、かなりリスクのある意思決定をしてしまったのでは、と不安になり、時折心臓が高鳴り、手の震えが起こる。

私は日系企業の海外支社にローカル採用社員として勤める中堅サラリーマン。

ここまで持ち前のちまちました性格と、日系企業で特に有利な、同調圧力への高感度アンテナをフル発揮することで、社内ではそれなりの信用を獲得し、雀の涙ほどから始まった給料も、現在では猫の額ほどに成長し、このまま夫婦共働きでやって行ければまあ、大きな贅沢もできないけれど、安定した人生を送れそうだなあと考えていたところだったのです。

ところがある日突然、知人から魅力的な悪魔のオファーが飛び込んできたのです。

それは外資ビッグネームのGAFAM系企業で一緒に仕事してみないかというお誘い。

それは自分にとってカナヅチで頭を叩かれるような衝撃でした。

もちろんそんな話、願ってもないチャンス。
チャレンジしてみたいに決まっている!

オファーを受けたその日から、現状の仕事に対する姿勢、今後の生きかた、考え方に至るまで。
ささやかで安定した自分の世界観は壊され、私を取り巻く景色があたかも“映画マトリックス“のネオのごとくガラリと変わってしまったのです。

新しい世界観

ちなみに補足すると私はどう考えても救世主とは真逆の内向的読書オタク。
ネオというよりも“ナヨ“という言葉がピタリとくる。

今まで縦割り組織の中、上司の指示であれば内容の是非など深く考えず、空気を読んでとにかく指示に従ってきた。
多少無意味に思われるミーティングだって出席者のメンツを見て顔を出しておいた方が得策だと考えれば、存在アピールのためだけに率先して参加し、無駄に意見を述べてきた。

それが自分は遅かれ早かれここを去るかもしれない、となると急にそんな駆け引きをしている自分がバカらしくな思てきた。

やるべき事を片付けて、サッと頭を切り替え、自分の時間を作ることに力を傾けたほうがずっと効率的だと考え始めるようになった。

そして、誘ってくれた会社の話を聞いて驚いた。
その会社には業務の方向づけをするチームリーダーはいても、明確な上下関係のようなものはないのだという。以前ティール組織という本を読んだことがあるけれども、そんな組織が本当にあるのだ、と私は目を輝かせて細かく話を聞いた。

ただ、私をこの魅惑的な世界いざなうこの男。
言わばマトリックスでいうなら “モーフィアス” にあたる男だが、私と彼とは過去、顧客とサプライヤーの関係。
昔からよく知った仲なのだ。
彼は海外生まれの海外育ち。日本語、英語、中国語を自在に使いこなすマルチリンガル、外資系企業に勤めるには超うってつけの存在。
一方、私の方は海外在住歴15年以上と期間は長いものの、日系企業の閉鎖的な環境にいるため英語力は中の上とそこそこのレベル。

多言語飛び交う外資系企業で戦うにはいかんせん武器が貧弱すぎるのだ。

取り急ぎ脳に必要な言語知識でもアップロードしてくれたならすぐにでも華麗なダンスのような格闘術(語学力)を披露するのだけれどなあ。。

コンフォートゾーン

電話で彼にそんな悩みを打ち明けていたところ、
『海外10年以上もにいるのに、未だ英語コンプレックスを持ち続けているのは自分がコンフォートゾーンから抜け出そうとしてないからでは?』きつい一言を言われてしまった。

モ、モーフィアスの奴め、なんてストレートで的を得たことを言う奴なんだ。

でも全くその通りである。
外国にいるからと言って英語がどんどん上達するかと言ったら大間違いなのだ。
特に海外の日系コミュニティのような場所に安住していると、英語を使う機会は限りなくゼロに近い。

会社の中でも日系企業となればどうしても日本人が主役の会社。周りにいるローカルメンバーも日本人にわかりやすいゆっくりペースのできる限りシンプルな言葉で接してくれる。

テレビなどのメディアにしたってインターネットからいつだって日本語情報にアクセスすることができるので、わざわざ一手間かけて英語ベースて調べるという気にはなれない。

日常会話だって、必然的にある程度英語を使用することにはなるが、大体700語程度の語彙さえあれば殆どシンプルなコミュニケーションは成立してしまう。

ゆえに私の英語力はシンプルな意思表示レベルで止まってしまっているのである。

自分は多文化に触れるたい、英語力を上げたい。という大義を持って海外にやってきたはずなのに、気がついたら随分とその形はいびつなものになっていたようだ。

海外で仕事をしていれば特別なステータスのがあると勝手な幻想に浸り。
その実、居心地の良い海外の日系コミュニティのような場所からは出ようともしない。
そして自分は傷つかないところから、時にローカルスタッフの割り切った業務スタイルを冷笑し、時に日系企業の全体主義的な圧力を自己嫌悪する。
良い気になって安全圏から言いたいことばかりを言っている恥ずかしい自分を客観視させられた気がした。

そこまで自己否定することもないのに、と思ってはいけない。
コンフォートゾーンから抜け出るにはこれくらいの荒治療が必要なのだ。

とにかく新しい世界への一歩を踏み出してみたい。
そう考えた私はまずこの会社の面接をトライみることにした。

ウェブ面接

それは始めてのウェブ面接。
時間になり、指定されたリンクにアクセスすると、なんと面接官が5名も参加していた。
見た目と発音から、そこには少なくともシンガポール人、インド人と北米系の人が参加していることはわかった。

それぞれクセのある英語で矢継ぎ早の質問が続く。

『自己紹介して!』
『今までの自分の功績を数値で表現してみて!』
『あなたにとってSNSとは?』
『SNSの今後のポテンシャルは?』
『あなたを採用しなければならない理由は?』

緊張で頭も回っていない中、手強い質問が混じる。
しかも音声が途切れがちで言葉がうまく聞き取れない。

拙い英語で辛うじて答え続けていたが、それ以上言葉が続かず、会話に不自然な間が生じはじめていた。
もはや私の頭は真っ白だ。

ところがそんな遠のく意識の中で一つの言葉が自分の中にフラッシュバックした。

メラビアンの法則

メラビアンの法則とは人がコミュニケーションをする時に相手に影響を与える情報伝達方法に関する法則で、それぞれの手段が相手に与える影響の割合は
言語情報7%
聴覚情報38%
視覚情報55%
というもの。

つまり言語情報の与える力はそこまで強くないのだ。

それは私にとってまさに天啓、この言葉は閉塞状態を打破する“ネブカドネザル”だったのだ。

私はなんとか、このボロボロ状態を打破したくて、面接の途中にもかかわらず、面接官の話を割って
『Sorry I am really nervous!』
と自分が緊張状態にあることを声を張って伝えた。

そして『1度深呼吸させてください』と言うと、胸に手を当てて1度だけ息を吐くジェスチャーをした。

すると面接官の間から少しだけ笑い声が漏れ、場が少しだけ和んだのがネット越しでもわかった。

もはやこっちは崖っぷち、えーいままよ!
とそこから私は戦術変更し、
コチコチになった表情を少し緩め、笑顔を作り
声にできる限り抑揚をつけ、
苦手ながらもできる限りジェスチャーをつけて、
言葉にならない言葉をひたすら発し続けた。

それからはもう殆どどんな話をしたか覚えていない。

その晩、思いっきり落ち込んでいた私のもとに、モーフィアスからの電話が鳴った。
それは次の面接があるので連絡を待つようにとの指示だった。

私は歓喜をあげると共に、あの恐怖の面接がまだ続くのか、と考えると、その晩は殆ど眠れなかった。
それでも悶々とした意識の中、気づいたことがある。
それは今回は自分がコンフォートゾーンから一歩足を踏み出すことができたのだと言うことだった。

これから

この結果はどうなるか分からない。
でも現代世界ではでは知識をアップロードして急に実力を上げることなんてできないし、相手を騙すこともできない。
まず、手持ちの手札で今できることを精一杯やるしかないのだと思い知らされた。

未だどっちつかずの身で、私は現在の日系企業に出社している。

来月には自分がどうなっているか、何処にいるかもわからない、でも今ここならすぐにでも意思決定ができる。

どこにいたって関係ない。
腐らず、前向きにいられれば、今すぐ自分にできることはたくさんある。

まず、上司に現在就職活動の身であることを正直に伝えた。
まだ何も決まっていない状態で、それは自分にとって不利になり、リスクのある発言だと思ったけれど、信頼できる上司だと思ったので、なぜこのような思いに至ったのかをしっかり説明しておきたかったのだ。

次に、すぐに英語の学び直しを始め、日本語混じりのいわゆる “甘えた英語“ を使うのをやめた。
相手に理解せよ、という姿勢で言葉を話すのではなく、広い世界でも伝わるできる限り正しい言葉遣いを目指すべきと考えたからだ。

また会議や、レポート作成の指示でも自分の理解できないものに対しては闇雲に従うのではなく、少し勇気を出して目的や理由を聞いてみて、自分にとって関係ないものは思い切って断ることにした。

あからさまに嫌な顔をされる事もあるけれども、自分の仕事量をコントロールするのは上司ではなく、自分自身だと感じたからだ。
本当に必要な業務に注力した方が会社にとっても良いだはず出し、自分にとってももっと前向きな時間が創出できると考えたからだ。

終わりに

取り巻く世界はがらりと変わった。

コンフォートゾーンから一歩を踏み出して、ラーニングゾーンに辿りついた時、うまくいくとちょっと違った景色を垣間見ることもできるのだとわかった。

人は現実世界ありのままをみることはできない。
言語や事物の関係性、バイアスなど様々な力によって解釈され、都合良く世界観を作り出しているのだと思う。

振り返ってみればたくさんの失敗も犯してもう取り返しのつかないことになってしまっているのかもしれないけれど、それで良い。

私に過去を悔やんで未来を憂えている時間はそれほどない。

頭の中の世界はきっとフラクタクルな入れ子構造。
マトリョーシカを壊したらまた新たな面白キャラが現れるはず。
今からだって遅くはない、これからだって何度でも自分の世界を壊し続ける自分であり続けたいとつくづく思うのでした。

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