おばあちゃんの話

包丁が弾む音がして、こんがり魚の焼ける匂いが漂った。束の間、どこにいるのか分からなかったが、実家に帰ったのだったな、と思い直してクニコは布団から抜け出した。居間に向かうと昔と変わらない丸まった背中が台所に見えた。

物心ついた頃から家族の者らがそう呼ぶのにならって、おばあちゃん、と呼んでいたその人が実際のところはおばあちゃんではないのだと知ったのは小学校に上がる少し前のことで、そうはいっても、今さら、おばあちゃんと呼ぶより他の呼び方がクニコには考えられなかった。

おばあちゃん、とは、普通、お父さんのお母さんや、お母さんのお母さんのことを指して呼ぶものだけど、クニコのおばあちゃんはクニコのお母さんのお母さんのお母さんのお母さんのお母さんのお母さんのお母さん。つまり、おばあちゃんのおばあちゃんのおばあちゃんのお母さんで、クニコより一七六歳年上のひいひいひいひいひいおばあちゃんにあたる人だった。おばあちゃんは、おばあちゃんというよりもご先祖だった。

たいそう長生きしているのだから、おばあちゃんはさぞいろんな目に遭っただろうと思うのだが、一等、ひどい目に遭ったのは不作の時でも、明治維新の時でも、戦争の時でもなくて、数えで六七の年に山に捨てられた時だったという。明け方、寝ている内に籠で運ばれて、目を覚ますと見知らぬ山奥にいた。そばにあった木の皮で草履を作って、雪の中に残る村の者らのかすかな足跡を頼りにして、からがら家まで帰り着き、戻ってみれば家の者らは何事もなかったように、おばあちゃんを迎え入れた。

それ以来、まだまだ元気なことがばれて、おばあちゃんは家族に任せていた仕事を再び手伝うようになったそうだ。それからおよそ一世紀半、疲れやすくなって、昼寝の時間が長くなって、いくら食べても腹が一杯にならなくなったが、体はどこも悪くしないでここまで暮らしている。

クニコは今年で三三歳、おばあちゃんは二〇九歳。今も抜けずに残っている歯が十二本あって、盆や正月に親類縁者が菓子やら果物を持ち寄ると仏壇に供えるより前におばあちゃんは食べ始める。

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