國分功一郎 『スピノザ 読む人の肖像』読書会レジュメ(2023/10/8)3/3

3章 総合的方法の完成

●『エチカ』第1部
自己原因
・その本質が存在を含むもの。その本性が存在するとしか考えられないもの。
実体
・それ自身の内に在り且つそれ自身によって考えられるもの。その概念を構成するのに他のものの概念を必要としないもの。
・実際に存在しているもの。『エチカ』では神であり自然。 p135
属性
・知性が実体についてその本質を構成していると知覚するもの。
・一般にはそのものに備わっている性質だが、スピノザのいうそれは実体に備わるリアリティそのもの。 p135
・人間は思惟と延長という属性からしか実体を知ることができない。 p135
(思惟→思考の領域  延長→物体の領域)
変状
ある物が何らかの刺激を受けて一定の形態や性質を帯びること。 p134
様態
実体の変状。他のものの内に在り且つ他のものによって考えられるもの。

絶対に無限の実有。各々が永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体。
永遠性
・存在が永遠なるものの定義のみから必然的に出てくると考えられる限り、存在そのもののこと。

○冒頭8つの定理の手続き
背理法 
・定理1 実体は本性上その変状に先立つ。
→ 「定義3 実体とは、それ自身の内に在り且つそれ自身によって考えられるもの、言い換えれば、その概念を形成するのに他のものの概念を必要としないもの、解する。」と
「定義5 様態とは、実体の変状、すなわち、他のものの内に在り且つ他のものによって考えられるもの、と解する」に従って導かれる。

・定理2 異なった属性を有する二つの実体は相互に共通点を有しない。
→ 「定義3」に従って導かれる。

仮定
・定理2 異なった属性を有する二つの実体は相互に共通点を有しない。
→ 仮に「異なる属性を有する複数の実体」を考えてみた場合、それらは共通点を持たない。

・定理5 自然の内には同一本性あるいは同一属性を有する二つあるいは多数の実体は存在し得ない。
→仮に「同一の属性を有する複数の実体」を考えてみた場合、そのようなものは存在しない。

遡行
実体=神は発生的定義ができない→ 自己原因から定義する
定理7証明 実体は自己原因である
→定理6 一つの実体は他の実体から産出されることができない。(実体=自己原因だから)

定義1 自己原因とは、その本質が存在を含むもの。その本性が存在するとしか考えられないもの、と解する。
→定理7 実体の本性には存在することが属する。(実体=自己原因だからその本性に存在することが属する)

○『知性改善論』の神と『エチカ』の神
『知性改善論』→ 事物の場合の定義と異なり、一切の原因を排除しなければならない。

『エチカ』→ 神は自らが原因である。生み出し且つ生み出される存在。 p139
(神=実体の四つの特性→ 唯一性・自己原因・必然的存在・無限性)

→ 神=実体について定義した上で総合的方法(原因→結果)を可能にする。p141

○『エチカ』で描写される神
神の本質
そのものの奥底にある何かではなく、存在しているという事実そのもの。
無限の多くの属性から実体として存在していることそのもの。 p147

存在論的証明へのカントの批判
存在論的証明
→神は完全なのだからその完全性には存在も含まれていなければならない。したがって神は存在する。
・批判 「神が完全である」とはいえるが、それが神が存在を証明することになっていない。
(例 幽霊やアンパンマンがいなくても「幽霊はどこにでも現れる。」「アンパンマンは不死身である。」ということはできる。)

→『エチカ』では神は自然として常に存在している。
→神の存在を証明しているのではなく、描写している。

無限
「果てがない」のではなく「完成している」状態。不足した部分がある状態が有限。p152

神≠フィールド
神=自然の中に人がいる、のではなく、人も含めて神でないものはない。p154
神に外部はない。

内在原因
・積極的な定義はされていない。
・一般的な因果性の概念を「他動原因」と呼ぶのに対して、神が万物の原因であることを内在原因と呼ぶ。
・結果によって内在原因の力の表現する、と考える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?