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ショスタコの交響曲第12番

(この文章は2006年に記したものです。)

 今月の私のオーケストラ (名古屋フィル) の定期の演目は、ショスタコーヴィッチの交響曲第12番「1917年」(指揮/ティエリー・フィッシャー) だ。来月もやはりショスタコで、彼の最後の交響曲第15番が予定されている。いくらショスタコのメモリアル・イヤーとはいえ、同じ作曲家が定期で2回も続くのは珍しい事で、オケ歴30年の私にも経験がない。
 そこでこの機会に曲の勉強も兼ね、この第12番のいろいろなCDを聴き比べてみることにした。

現在私が持っている「第12番」のCDは下記の通りである。
 1. ムラヴィンスキー/レニングラードpo. (Melodia/VEHEЦИЯ)
 2. ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウo. (Decca)
 3. スロヴァーク/ブラチスラヴァ放送so. (Naxos)
 4. ボールト/BBCso. (伊INCD)
 5. バルシャイ/ケルン放送so. (Brilliant)
 6. コンドラシン/モスクワpo. (Melodia/VEHEЦИЯ)
 7. ロジェストヴェンスキー/ソヴィエト国立文化省so. (Melodia/BMG)

他にロストロポーヴィチ/ナショナルpo、インバル/ウィーンso、M.ヤンソンス/バイエルン放送so.などが現在容易に入手可能である。
 上記のうち2,3は、以前別の曲を聴いた時あまり感心しなかった (駄盤?)ので、今回はパス。
4.はライブ音源らしいが、CDが行方不明で今回は聴けなかった。
1は初演者で別格なので最後まで残し、取りあえず7,5,6の順で聴く。奇しくも本場ロシアの指揮者によるCDのみの試聴となった。

 まず7のロジェヴェンは全体にテンポにゆとりを持ち、安全運転といっても良い演奏で、スケールの大きいダイナミックなイメージのロジェヴェンからは少々意外 (といっても緊張感に不足は無いが)。これは恐らくオケが若手の腕利きを集めて結成したばかりだった (現在はどうなったのだろう? )という事もあったのではないか。
 しかしお陰で、一番勉強の手助けとなる演奏だった。
次に5.のバルシャイ盤は、あの宇野功芳氏が絶賛するなど、激安レーベルの中の拾い物とも言える定評あるCD。
しかし、かつて「第4番」でバルシャイにネチネチと虐められた過去を持つ我がオケの団員としては、正直あまり聴きたく無いCDだった。しかしこの演奏は素晴らしい。どうしてあんな洗練とは無縁と言える棒で、こんな演奏が生まれるのか? 
6.のコンドラシンは、彼の面目躍如と言える名演。冒頭の低弦からして、そのインパクトはまさに別格。
全体に構成感を大切にし、最後まで集中力を保ち続けるそのパワーはまことに素晴らしい。

 ところが最後に、1.の初演者・ムラヴィンスキーの演奏を聴いた時、他の全ての演奏がブッ飛んでしまった。第1楽章のアレグロの怒濤の如きスピートには、ただただ唖然とするばかり。どうしてこのような凄まじい演奏が現実に可能なのだろうか。私は若き日にムラヴィンの「ルスラン」を聴いて、その一糸乱れぬ超高速にブッ飛んだ事があるが、このアレグロは「ルスラン」とは異なり、曲が内省的で深刻なパッションを孕んでいるだけに、その説得力といったら無い。
ムラヴィンスキーの演奏から私は、常に「孤高の気品」とも言うべき、ある意味宗教的な高みを感ずる。その最上の例が彼の晩年のブルックナーの「第9」だ。
この「第12番」では、他の指揮者はやはりムラヴィンスキーの境地とは全く別次元でしか音楽が出来ていない、という事を思い知らされた。勉強用としては全く不適格、しかし鑑賞用としてはこのムラヴィンスキーの盤以外を、私は将来再び聴きたいとは思わないだろう。

 末尾に。それにしてもこの「第12番」のパート譜は酷い。雑な手書きでまことに見にくく、メクリもメチャクチャ。そのせいもあってか、上記のCDでもいくつか「飛び出し」が聞き取れる。
こんな名作を、いつまでもこんな劣悪なパート譜で演奏していてはならない。
一般の聴衆の皆様にも是非現場の事情を知っていただきたく、敢えて記す次第である。(2006)

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