『それは甘えだ』、『敵も味方もない』
『それは甘えだ』
人生に儚さだとか悲しみだとか、いわゆる絶望だとかを感じる時期は、程度の差はあれど誰にでも訪れることだ。
もちろん、私にもそういった時期はあった。
いや、今もその渦中かもしれない。
他人は、『それは甘えだ』と言う。
その通りだ。
私は甘えている。
そうだ、私は自覚しているのだ。
それでも、その絶望から抜け出せないのである。
私の感じる絶望が甘えだと突きつけられたところで、どうしようもないのだ。
現状を正しく認識し、理解していても、そこからどのような行動をすればいいか、わからないのだ。
甘えの一言で片付けてくれた人に問いたい。
ならば、どうすればいい?
なんて便利な言葉だろう。
この問いに関する答えも『それは甘えだ』で済むのだから。
『敵も味方もない』
一体、私たちは何と戦っているのだろうか。
学生時代に尊敬していた、サークルの先輩は、
『敵も味方もない』
当時、人間関係について悩んでいた私に呟くように言った。
あの人は飄々とした人だった。
おちゃらけた感じだったがそういった面は表だけで、本当は思慮深く、冷静に周りを見ていた。
後輩が同期の学生に叱られていたりすると助け舟を出したり、異性との遊びが激しい同期の女子学生の注意を自分に向けて私たちを守ってくれていた。
おかげで、先輩はその女子学生に粘着されて学内を逃げ回る羽目になってしまっていたが。
『敵も味方もない』
先輩の信条というか、考え方の芯だったのかもしれない。
結局、周りが何か事件を起こしても、
「気づいてたんだけど、うまく防げなかった」
と言い、
「悪い奴じゃないんだけどねぇ」
と困った顔をしていた。
そこには、誰が悪いとかいうものはなく、優しさのようなものがあった。
この人は私の知る限り、サークル内の人間関係の調和をいつも気にしていた。
集団なのだから、誰が嫌い、気に食わないということは確かに存在していた。
だが、そういったものを内包した上でサークル内の人間を気遣っていた。
気苦労が絶えなかったことだろう。
サークル引退後の先輩は、どこかスッキリとした顔つきをしていた。
ある日先輩は就活を終えたからと言い、髪を金髪に染め、部室棟の裏にある粗大ゴミ置き場の捨てられたソファに座って空を眺めていた。
あの時、面白がって撮った写真は、どこかに消えてしまった。
凄く惜しいことをした。
私は、あのゴミ山の中で王様のようにソファを独占する姿に、学校という箱庭の自由を見た気がする。
写真は撮った方が良い。
美しかろうが、醜かろうが、時間を切り取ることができる。
そして、現像するなり、クラウドに上げるなりした方が良い。
いつの間にか消えてしまわないように。
最後に
寝る前にnoteのネタを考えていたら、色々と思い出してしまったので、つい書き過ぎてしまった。
もう夜が明けてしまいそうだ。
痛恨のミスである。
では、おやすみ。
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