人生で忘れることの出来ない(負の)言葉がある。

「おまえがやったことにしてくれ。」
中学校の学年主任に言われた言葉。
人生において、決して忘れることの出来なくなってしまった、負の言葉。
結局、この言葉を乗り越えることが出来ないままに、人生の大半が過ぎた。


中学校に進学したばかりのころ、学校内では盗難事件が頻発していた。
体育の授業で不在にしている教室に忍び込み、金品を盗むという手口の盗難で、前年度から引き続き多発している事件であった。
新1年生の間では、犯人は3年生の誰々であると知られている公然の秘密であったが、教職員たちは、まるで関心を持っていなかったように見えた。
同じ1年の友人とともに、悪を懲らしめようとあさはかな正義感にとらわれて、黒板に犯人をほのめかして告発の板書をするという稚拙なことをやってしまった。
匿名で他人を批判する、卑怯な行為ではあった。
自分と間違えられて、となりの教室の、自分と背格好のよく似た別人の生徒が、その3年生に殴られて、顔面を数針縫う怪我を負ってしまった。
窃盗事件が、障害事件になってしまった。


3年生のその生徒は、すでに中学卒業と同時に就職が内定していて、事件が発覚したら、その内定している就職と、将来とが危ぶまれるという立ち位置にあった。
逆に、そのような立場であるにも関わらず、よくも危ない橋を渡っていたものだとも思う。
教職員は、窃盗事件の段階でもそうだったように、障害事件の段階になってしまっても、やはり、大人の解決方法を選択した。
「おまえがやったことにしてくれ。」
事件の捜査を受け持っていた学年主任に言われたそのひとことは、今でもどうしても心の中から拭い去れない。
罪の意識が先に立ってしまっていた自分は、いつの間にか、学年主任の醸し出す、そんな流れに乗せられていた。


ほかの家庭内の事情も重なって、両親には言えなかった。
教職員たちも、不誠実だったのだろう。
学校側が、わたしの両親にその事件について告げることは、卒業の最後に至るまで一切なかった。
一緒に行動していた友人は、職員室には呼ばれなくなり、自分とは目を合わせなくなって疎遠になった。
その学年主任が顧問を勤めていた部活の方も、結局は、行かなくなってしまった。
校長は、母方の遠縁の親戚だった。
校長室に呼び出されていたときにも、その校長が、大人の汚さの中心にいる人物であるかのような気がしてしまって、どうにも反省するような気持ちにはなれなかった。
この校長が、遠縁の親戚であるのなら、この体の中に流れる血をも、すべて入れ替えてしまいたいと思ったものだ。


結局、幼いころに受けた言葉によって人格形成されてしまうと、その傷というものは完治しえないものなのかもしれない。
子供時代に受けた傷は、子供時代に治癒しておかないと、長くこじらせてしまうことになる。
大人になってしまってからでは、誰も、判事や弁護人にはなってはくれないものだ。
自分で自分の精神を維持するか、あるいは裁くしかないのであろう。
今まで乗り越えられなかったことだけれども、封印を解いたならば乗り越えることが出来るだろうか。
いつか乗り越えられる日のために、記念にこれを記そうか。

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