ブルーノ・マーズから考えたこと。

知っている人は知っているだろうけど、先週末の4日間、埼玉でブルーノ・マーズのライブがあった。ヒナタヤに通う小学校5年生のソウイチローもライブに参戦したらしい。ライブ前の授業では「ずっとゲームができる!!」と喜んでいて「そんなこと言うなら俺にチケットくれ!」というやり取りをしていたのだけど、お母さんのFBを見ると、ライブ中に彼なりに楽しみ方を覚え、いろんなものを受け取って帰ってきたらしかった。中でも衝撃的だったのは彼が「ブルーノ・マーズの小さい頃の夢はなんだったの?」という問いを持ったことだ。なんとも素晴らしい問いだと思った。

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その投稿を見て、ふと思い出したことがあった。
小学校低学年ぐらいだっただろうか、ぼくにはひとりの憧れの指揮者がいた。名前は金洪才(キム・ホンジェ)。長野パラリンピックでも指揮をした、日本を代表する指揮者のひとりだ。
彼は、名前からも分かるように在日2世だった。「キン先生」と呼んだ幼き日のぼくを「ぼくの名前はキンじゃなくて、キムだよ」と優しくたしなめていた、らしい。ぼくはあんまり記憶にないのだけど。
こうやって書きながら思い出したことがある。ある日、キム先生のホームページを見ようとしたらサイトが閉鎖になっていた。なぜだろう、と母親に聞いたら、拉致問題の解決が盛んに叫ばれていたあの当時、どうやらキム先生のサイトの掲示板も荒らされた、らしい。直接この目で見たわけではないから、定かではない。いずれにせよ、あの体験は恐らくぼくが生まれて初めて手触り感を持って感じた「差別」だった。そうした思想、行為の「くだらなさ」も、「祖国」というナショナル・アイデンティティへの理解も、ぼくにとっては、教えてくれたのはこのキム先生だったのかもしれない。

少し話が逸れてしまった。
もちろん、キム先生が教えてくれたのはそれだけではない。舞台の上で飛び上がるように指揮台に上がるキム先生を、指揮棒の先から何かが出ているのではないかと思うような、思わず目を奪われる棒を振るキム先生を見て、ぼくは「品」や「華」といった、人前に立つ人間の「オーラ」を教えられていたように思う。クラシック音楽のなんたるかをまるで知らなかったぼくは(いまでも分かってない)、それでもあのときキム先生の指揮と音楽がなんだかかっこいいことを感じていた。聴きに行っては大抵寝ていたのだけど。

幸運なことに、我が家は昔からそうしたら音楽家がよくやって来る家だった。今思えば、なんとも贅沢な音楽家がよく来ていた。キム先生も、そんな中のひとりだった。
あれはたしか母親が在籍していたオーケストラの打ち上げだったか、練習後だったか、そんなタイミングだった。大勢の大人がいたのだけど、ぼくはちゃっかり客演できたキム先生の隣の席に座っていた。なんの話をしていたのかも覚えていない。でも唯一覚えてることは酔っ払った周りの大人から「きよとくん、キム先生に聞きたいことないの?」と言われたときのことだ。ぼくは少し勇気を振り絞ってこんなことを聞いた。
「キム先生は、なんで指揮者になろうと思ったの?」

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あの時、その場にいた大人はうぉー、とかなんとか言いながら、でもなぜだかみんな笑っていた。ぼくはなぜそこで笑われたのかも分からず、そんな反応に戸惑っていた。キム先生がきちんとぼくを見て真摯に答えてくれたことは覚えているのだけど、なんと言ってくれたのかさえ、ほとんど覚えていない。
あとになって、ひょっとすると年レベルで月日が経っていたのかもしれないけど、母親が「あんた、あのときの、あの質問は良い質問やったな」と言ってきた。いや違う、ひょっとすると、ぼくから「なんであのときみんなは驚いたの?」と聞いたのかもしれない。いいずれにせよ、あの時の母親は大真面目に「意外にな、あんな風なことを聞こうと思う人はおらんのよ」みたいなことを言っていた。いまは、その母親の気持もよくわかる。ソウイチローの問いを読んで、ぼくも多分あのときの母親と同じような気持ちになった。

なぜあのとき、あんなことをキム先生に聞いたのか、よく分からない。音楽がどうだとか、好きな音楽家は、とかそんなことを聞けるほどに成熟していたなかっただけ、なのかもしれない。でもあのときの自分にとっては、それ以上に大事な問いはなかったのだ。なぜ、この人は、こうやって生きているのだろう、と、それだけがぼくにとっては重要だった。
だから、FBを読んでいて、あのときの母親の気持ちを理解しながら、同時にソウイチローの気持ちもとてもわかった。彼は決して問いのクオリティを考えたわけではない。当たり前の疑問を当たり前に発しただけだ。
でもそれに驚く大人がいる。みんなそうした問いに目が向かなくなるからだ。理屈を付ける。あの音楽はこうだ、あのパフォーマンスはどうだ、と、とかく言いたがる。でもそんなことを一切取り除くと、残るのはそこにいる「人」への問いのみなのかもしれない。

だから、あの問いは素晴らしいのだと、伝える必要がある。あの問いを発したことは素晴らしいのだ、と。多くの人が見ていないものに目を向けることは、新しい発見にも、深い優しさにもつながるだろう。

「学ぶ」とは、総じて、自ら「問い」を持てるようになることなのかもしれない、と、確信を持つようになってきた。「あほ、そんなこと考えてるヒマあったら勉強しろ」と言わないように、ぼく自身も、たくさんの問いに共に向き合い続けることが大切だ。でもまずはその問いを持った好奇心と、それを発した勇気に敬意を持ちたい。

途中、写真はキム先生と、まだかわいげのあった、ぼく。実家の玄関の写真立てに、きっと今でも、飾られている。