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勇断の旅に出かけよう

2021年3月25日,東北大学理学部を無事卒業しました.

ラクロス部としてほとんどの時間を割いた学生生活だったわけですが,大学生活は自分自身にとって間違いなく重要な期間になったことと思っています.

さて,卒業に際し想ったことをいくつか語っていきたいと思います.

仕方がないが通用する時代

 2020年は専らCovid-19の年でした.思うようにラクロスができなくなった,全国大会もなくなった,代表活動もなくなった,こんな感じで3年の頃の私が想像していたものとは全く違うものになりました.
 学生日本一という目標は,そのフィールドに立つことすらも叶わないまま道半ばで頓挫しました.

「大会がないんだから」,「コロナだから」,「練習ができないから」,「遠征ができないから」

 そういった言葉を口にして,

 「仕方がない」

と諦めの姿勢を見せる人が次第に増えていきました. 

 2020年は,「仕方がない」ことに簡単に理由がつけられる年でした.2021年になった今もその状況はあまり変わっていません.全国大会が開催される保証などどこにもないと思います.

ラクロス部を広義的に捉える

 練習ができないラクロス部にとって「価値」とはなんなのでしょうか.はたまた体育会の価値とは.
 一時代前,環境順応型知性の人材が評価される時代,すなわち,「一生懸命に練習に打ち込む人」が良しとされる時代では,自分たちがやるべきことをひたすらこなしていけばいい時代でした.そんな時代にとって「体育会」と言うのは社会的価値のある人材を育成していく上でベストな環境だったわけです.しかし,時代の変遷とともに,社会に求められる人材像というのは変わりつつあります.自らが現状に対して課題を提起し,自分なりの価値観を持って自律的に問題解決を試みていく.そんな自己主導型知性を持っていることが評価される時代になってきました.そんな時代にとってはたして「旧型の体育会」というのは.どんな価値を提供できるのでしょうか.
 かのニーチェは,永劫回帰の無意味な人生の中で自らの確立した意思でもって行動する人類のことを「超人」と表現しました.今まさに,「超人」となることを求められる時代が始まっているのです.

 「あなたにとってのラクロス部とは?」

 ラクロスはただラクロスという競技のみをする団体にとどまりません.ラクロス部という箱を一人ひとりが自分なりに定義し,自分なりの正義を持って行動していくことが今,「仕方がない」が通用する時代にとって重要なことなのではないかと思っています.

さぁ,勇断の船を出港させよう

 ニーチェは「超人」という言葉と同時に、弱い立場にある者が、強い者を「悪」であるとみなし、その対立項である自分たち弱者を「善」とみなすという転倒した価値判断のことを「ルサンチマン」と表現しました.

 人間は根本的に弱い生き物だと思っています.集団への帰属意識が強く,他人からの承認欲求が強く,一人では生きられない.
 社会において,環境順応型知性から,自己主導型知性へと変化しようという試みを持つ人というのはまだまだ「少数派」であると思っています.特に多数派の意見が善となる日本では,少数派である自己主導型知性を持つ人材の発言や行動というものは,まさしくルサンチマンの対象となりうるわけです.

 しかし,ラクロス部にいる人は少なからず一度,ルサンチマンを振りきり勇断を下した「経験」があります.それは「ラクロス部に入部したこと」です.
 それは,間違いなく「強み」であると言えるでしょう.

 組織を変えることは簡単ではありません.私も,結局のところ組織全体の判断に対して勇断を下すことはできませんでした.

 それでも,「ラクロス部にいるみんな」が,「超人」への潜在的可能性を持っていることは明らかです. 
 まずは一人ひとりができるとこから,自分なりの正義を持って行動していけるように,頑張っていってほしいと思っています.

 その行動のひとつひとつが,ラクロス部を変え,「本当に強い東北大学」を築く上でのきっかけになることを祈っています.

最後に

 ここまで書かせていただいたことは,ラクロスを通じて出会った様々な人の言葉を代弁しているものでもあります.私自身もこれを書くにあたって,様々な想いを巡らせることができました.関わっていただいた全ての方に感謝申し上げます.本当にありがとうございました.


 東北大学男子ラクロス部 戦術部長 佐野清



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