私のような炉物理の研究者が、意識的に、誤りもあるAIに、「四半世紀前、志賀原発1号機で、定期点検中に制御棒が3本抜け落ちて臨界になりましたが、抜けた炉心位置により臨界になる場合とそうでない場合があるのではないか」と質問 ひとつのセルの制御棒1本が、誤って落下しても、燃料集合体の濃縮度と構造設計により、臨界にならず、大きな炉心の中で、複数本抜けても、相互に大きく離れていれば、ひとつのセルの独立事象となり、臨界にならず、すぐ隣とか、ひとつのセルを飛ばし隣りであれば、核分裂の相互影響により臨界

質問

私のような炉物理の研究者が、意識的に、誤りもあるAIに、喧嘩を仕かけるごとく、「四半世紀前、志賀原発1号機で、定期点検中に制御棒が3本抜け落ちて臨界になりましたが、抜けた炉心位置により臨界になる場合とそうでない場合があるのではないか」と質問。

回答

志賀原発での事故については、1999年6月18日に起きたもので、定期点検中に制御棒が三本抜け落ち、臨界事故が発生しました。この事故は、制御棒の試験を行っていた際にバルブの操作手順を間違えたことが原因とされています
原子炉では、制御棒を用いて核分裂反応が一定に保たれるよう制御しています。制御棒が抜け落ちると、意図せずウラン燃料の核分裂が次々と始まり、臨界状態になる可能性があります
ただし、原子炉の設計や運用には様々な安全対策が取られており、通常は制御棒が一本抜けただけで臨界になることはありません。この事故は、原子力発電所の運用における安全対策の重要性を改めて示すものでした

感想

能登半島地震に被災した北陸電力志賀原発1号機は、世の中では、良くない過去の事故が採り上げられました。
過去の志賀原発1号機の点検中の制御棒3本抜け落ち事故は、
・1999年に発生、
・2007年(8年間にわたり隠蔽)に発覚、
・通産省常駐者が、一基当たり一人常駐しているにもかかわらず気づかない無神経さ、
・志賀原発1号機事故前、点検中などの制御棒トラブルは、全国のBWRで、8件発生、うち臨界1件(78年に1F-3で5本抜け臨界)、未臨界3件(79年に1F-5で1本抜け未臨界、91年に浜岡3号機で3本抜け未臨界、93年に2F-3で2本抜け未臨界)、すべて隠蔽、
であり、複数本抜けても臨界にならない例があり、AIは、その炉物理的意味まで言及する能力がありませんので、私が、基礎的事項の解説をすれば、BWR炉心は、格子状に構成され、燃料集合体4体がひとつのセルと定義され、その中心に先端が、長さ4 mの十字形の制御棒が下から挿入されており、100万kW級では、200本、志賀原発1号機のような50万kW級では、その半分であり、制御棒は、炉心に、均等に配置されており、ひとつのセルの制御棒1本が、誤って引き抜かれたり、誤操作で落下しても、燃料集合体の濃縮度と構造設計により、臨界にならないように設計されているため、大きな炉心の中で、たとえ、同時に、複数本抜けても、その複数本が、相互に大きく離れていれば、ひとつのセルの独立事象となり、臨界にならず、すぐ隣とか、ひとつのセルを飛ばし隣りであれば、核分裂の相互影響効果により臨界になり、結局、臨界になるかならないかは、抜けた本数で決まるのではなく、抜けた制御棒の位置関係で決まり、具体的には、相互に大きく隔たっていれば、10本抜けても、20本抜けても、臨界にはなりません。
1978年の1F-3での5本抜け臨界事故が、隠蔽されず、情報公開され、全BWR事業者に対し、情報が共有されていれば、21年経て発生した志賀原発1号機の事故は、防止できました。



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