Trovatoreさんの質問「福島第一原発事故直後のテレビ朝日「朝まで生テレビ」を観たところ、石川迪夫というひとは、司会者の田原総一朗さんから原子力推進のエースと紹介されていましたが、にもかかわらず、原子力委員会や原子力安全委員会の委員・委員長でなかったのはどうしてでしょうか」への回答 石川さんは、記者会見の時、『週刊エコノミスト』に掲載された私の対談記事を机に叩きつけ、社会的な影響力の大きな私を否定的に徹底批判、誰に対しても、「貧困なるねたみ精神」

質問

2024年4月28日 23:53
Trovatoreさんからの質問
福島第一原発事故直後のテレビ朝日「朝まで生テレビ」を観たところ、石川迪夫というひとは、司会者の田原総一朗さんから原子力推進のエースと紹介されていましたが、にもかかわらず、原子力委員会や原子力安全委員会の委員・委員長でなかったのはどうしてでしょうか。

回答

田原さんが、単純に、マスコミ用語として、「原子力推進のエース」と表現しただけで、実際、そうなのか否か、意見が分かれると思いますが、よく言えば、原発の安全研究の現場も技術も研究テーマも、誰よりも良く分かっていたと思いますが、反面、社会の重要な役職から排除されてしまい、その原因が何であったのか、私の主観では、石川さんの態度と表現法にあったように思え、独裁者的言動が、敵を作りすぎた要因ではないかとさえ推定でき、石川さんは、記者会見の時、『週刊エコノミスト』に掲載された私の対談記事を机に叩きつけ、ただ、軽水炉安全の考え方が異なるだけなのに、社会的な影響力の大きな私を否定的に徹底批判したことがあり、おそらく、いつも、誰に対しても、「貧困なるねたみ精神」から、そのようなことをくり返してきたのではないかと推測しますが、謙虚で、人の面倒見が良ければ、十分な経歴と実績が備わっていたため、原研理事どころか、原子力安全員会委員長も任されたと思いますが、自ら、その機会を潰してしまったように思えます。
石川さんは、お山の大将的存在であり、相手を尊重したり、引きたててやろうとせず、私は、石川さんが、「電気新聞」と言う業界紙に書いたエッセーの中で、汚い言葉で、攻撃されたことがあり、子供のような表現に悲しささえ覚えたことがありました。
私は、30年前、上野駅で、山手線に乗るための移動区間で、石川さんが、誰かと話をしており、半径100 m範囲に聞こえるほどの大声で、それも、人を褒めるとかの快い内容であれば、良いのですが、そうではなく、反原発者の特定の氏名を挙げ、口汚く、ののしっており、さらに、その頃の「朝生」に出演した石川さんが、本人の前で、反原発者の著書を取り出し、間違った箇所に赤い線を引き、全ページにわたり赤い線で埋め尽くされた本を示し、得意満面でしたが、大人げなく、討論番組では、ルールがあり、相手を攻撃することや悪口を言うことが目的ではなく、ルールと礼儀を守りつつ、相手の良さを引き出しつつ、自身の主張を織り込むと言うやり方になっていますが、そのような基本的なルールを無視し、子供の喧嘩のような幼稚さをさらけ出しました、そのようなことは、通産省の委員会や電力事業者など産業界の人が多く参加する委員会でも同様なことをくり返したので、本人が思って入りほど、大きな影響力はなく、それどころか、逆に、多くの敵を作っていたのでしょう。 

Trovatoreさんから「常に佐藤一男さんがつきまとっていて、佐藤さんは敵を作らないタイプに対して石川さんは意見の合わない人物を敵に回してしまうからでしょう」なるコメントあり、・・・、同感。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?