Trovatoreさんの質問「福島事故直後は、テレビでは、原子炉から水が無くなってその後すぐに燃料が溶けて流れ落ちるアニメーションをよく見ました。「事故時炉心形状維持論」について、日本原子力学会や原子力機構という組織ではそれを検証するための計画が立案されていたということですが、ということは当初はそれなりに信頼性の高い学説と受け入れられていたのでしょうか」への回答

質問

2024年4月11日 18:12
Trovatoreさんからの質問
福島事故直後は、テレビでは、原子炉から水が無くなってその後すぐに燃料が溶けて流れ落ちるアニメーションをよく見ました。「事故時炉心形状維持論」について、日本原子力学会や原子力機構という組織ではそれを検証するための計画が立案されていたということですが、ということは当初はそれなりに信頼性の高い学説と受け入れられていたのでしょうか。

回答

石川迪夫さんが、著書で、自身の考え方を体系化したのは、福島第一原発事故から3年後であり、当初、原子力界では、特に、日本原子力学会や原子力機構では、石川さんの研究分野と実績から(NSRRでの反応度事故時の燃料挙動研究など)、新鮮な驚きをもって迎え入れられ、積極的に、成立性の検証を考えていましたが、検討するにつれ、1号機などの観測データと明確に矛盾していることが分かり、NSRRの実験用短尺燃料の場合ならば、条件によっては、石川さんが主張するようなことも部分的に成立しますが、軽水炉長尺燃料全体では、2600℃以上になっても、炉心全体で、均質に、炉心形状を維持できようなことは、非現実的であることが分かり、旧原研の軽水炉研究者、特に、軽水炉燃料研究者は、手を引くようになり、原子力界の熱は、急冷されてゆき、さらに、英語版が発売されても、海外から、特に、米国の研究者からの反応がなく、忘れ去られて行きました。


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