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藤井聡太のようなバケモノ的存在と同時代にいることを、どう考えるか

藤井聡太のようなバケモノ的存在と同時代にいることを、どう考えるか。
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将棋の世界では、一時代を制覇する存在が、定期的に現れる。まるで、パックスブリタニカからパックスアメリカーナに移行する世界史を見ているようである。
将棋界は、大山→中原→谷川→羽生→藤井と、棋界を制した王者が連綿と存在していた。これらの王者が現れる前には、当然群雄割拠の時代があり、王者が覇権を取るプロセスの中では、負け続けたプレイヤーがいた。

藤井に関していうと、負け続けた代表格は渡辺明九段と豊島将之九段であろう。渡辺は5度、豊島は4度、藤井にタイトル戦で負けている。なお、藤井はタイトル戦で現状負けなしで、挑戦失敗も防衛失敗もない。すげー。

豊島は、藤井と王位戦で戦う前は、6勝1敗と大幅に勝ち越していた。全棋士の中でも、特に藤井に対する天敵として認知されており、快進撃を続ける藤井の最後の障壁となることを期待されていたが、王位戦を始めタイトル戦では全敗している。
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豊島は、2019年のインタビューで、当時七段・17歳の藤井について、概略以下のようなことを述べている。

・5年後か10年後かわからないが、彼が一番強くなるであろう時に、自分もなんとか戦えるようにしたい
・彼がいるので長期的な目標を立てられる。自分は長く活躍したい、という気持ちは少なかったが、彼がいるので、長く頑張って、戦ってみたいと思うようになった

2019年の、まだタイトル戦に出てこない時期の藤井であったが、数年後に登場してきて、かつ自分は圧倒されることを予期していた発言である。圧倒されることはわかっているが、それでも彼と戦っていたいという意気込みである。

そんな先のことわかるの?という話であるが、羽生九段も、小学生のときにすでに未来の名人と言われていたと聞くので、棋界ではよくある話のようである。
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藤井聡太のようなバケモノ的存在と同時代にいることを、どう考えるか。

「不幸である」「あいつがいなければよい」
と思ったこともあるだろう。
同時代と書いたが、豊島のほうが12歳上なので、後から追いかけられて、タイトルを奪われ続けることになった。痛恨だったろう。
豊島とて、小学3年でアマ六段、史上最年少で奨励会入りした天才であり、竜王・名人を同時に保持した逸材(史上4人目)である。藤井がいなければ、タイトルを長期間かつ複数獲得して、一時代を築いたことは確実である。

内面では葛藤もあったはずだ。しかし、インタビューでこう答えているということは、彼の中で消化して、むしろ自分のモチベーションの源泉にまで仕立てている。生き方上手である。

考えてみれば、藤井と豊島のようなレベルではないが、我々も「あいつにはかなわない」という存在に出会うことは多い。あいつがいないといいのに、と思ってしまうこともあるが、そう思わずに切磋琢磨するようにすれば、もっと良い人生を歩めるような気がする。
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そんな豊島が、今年のA級順位戦を勝ち抜いて、来期の名人戦に再び登場する。

「名人戦に挑戦者として2回以上登場した棋士」は、1935年の第1期から今年で第82期の長い歴史の中でもたった12人しかいない。顔ぶれは、敬称略で1大山 2升田 3二上 4加藤 5米長 6中原 7谷川 8森内 9羽生 10郷田 11斎藤 12豊島 とスーパースターばかりである。豊島もこの一人に加わった。

私は棋士個人のファンではないので、特に豊島に勝ってほしいとは思わない。彼のここまでの情熱には感動するものがある(だから本稿の執筆に至った訳だ)が、同じようなストーリーは藤井にもあるはずである。
とにかく、力を出し切って、悔いのないような良い勝負をしてほしいと願うばかりである。
ちなみに私の棋力は、投了図を見ても、どっちが負けたかわからないほどのヘボであることを付言しておく。

『人の生涯は、ときに小説に似ている。主題がある。』(竜馬がゆく) 私の人生の主題は、自分の能力を世に問い、評価してもらって社会に貢献することです。 本noteは自分の考えをより多くの人に知ってもらうために書いています。 少しでも皆様のご参考になれば幸いです。