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お化け屋敷を半狂乱で駆け抜けるようなホラー映画、それにひどい邦題『地下に潜む怪人』

 昔大学の講義で教わったんですが、アジアのホラー映画とアメリカのホラー映画とではその恐怖の出どころに最大の違いがあるのだとか。曰くアジアのホラーは共同体の中に紛れ込んだ異質なものを恐怖の対象としていて、アメリカのホラーは未だ踏み込んだことのない場所に待ち受けるものを恐怖の対象としている場合が多いのだそうです。

 もっとザックリとアジアの恐怖は自分のテリトリーに踏み込まれる恐怖であり、アメリカの恐怖は他者のテリトリーに足を踏み入れる恐怖であるとでもしてしまいましょうか。こう書くとずいぶん大味な話に聞こえますし、そもそも僕は当時も今もボンクラなので講義をきちんと理解できていたかすら怪しいのですが、ともあれ幾らかでもホラー映画に触れたことのある人にしてみれば頭から否定してかかるような話でもないんじゃないかと思います。

 今回紹介するホラー映画『地下に潜む怪人』は断然自分からテリトリーに分け入っていくタイプの映画なんですが、その舞台がパリの地下を縦横無尽に走るカタコンベに設定されている点が面白い。主人公たちはまだ日の出ている明るいパリの街からカメラ片手に暗いカタコンベへと降り立ち、そこで奇々怪々な出来事の数々と遭遇するのでした。ちなみにこの映画、なんと怪人は出てきません

・あらすじと見どころ

 物語はイランの荒地を走るバスの中で幕を開けます。始めに画面に映るのは女性学者スカーレットの持つ隠しカメラの映像。彼女の研究分野は錬金術で、イランには近々爆破される予定の遺跡を直接立ち入って探索すべく不法入国を果たしました。言うまでもなく彼女のような文系マッドサイエンティストには希少価値があります。

 遺跡の在りかもまた地下にあるのですが、スカーレットは平屋建ての雑然とした民家の一室からその地下空間に入っていきます。恐らく当局の目を逃れた秘密の抜け道なのでしょう。ここでもう生活の場から床一枚隔てた先に、全く異質な空間が広がっていることの面白さを味わう事ができます。

 地下に侵入したスカーレットが見つけたものは、一体の秘匿された石像でした。彼女が大急ぎで石像を撮っている間、折りしも外では洞窟の爆破が行われようとしています。撮るだけ撮ってその場を後にしようとするスカーレットですが、そのカメラは去り際に遺跡の通路で首を吊っている男を捉えるのでした。謎。この辺の臨場感は手持ちカメラならではと言えましょう。

 さて、命からがら地上に帰ったスカーレットが持ち帰ったのは、石像の表面に刻まれていた古文書でした。彼女はジャーナリスト(たぶん)のベンジーのカメラの前で、そこに記されているのが錬金術の奥義賢者の石の情報であることを語ります。さらに旧知の男性ジョージの協力を得て、賢者の石の在りかが錬金術師ニコラ・フラメルの墓の直下であると突き止めるのでした。

 彼女は墓石へ至る秘密の通路を求めて巨大納骨堂カタコンブ・ド・パリを訪れるのですが、そこで謎のNPCの助言を得て一度地上へ舞い戻り、地下空間の案内人パピヨンをスカウト。スカーレットとベンジーとジョージにパピヨンのグループ3人を加えて、彼女たちはいよいよカタコンベへと足を踏み入れます。

 今度の地下空間への入り口は一見何気ない道端の窪み。その中でスカーレットたちは早々に帰り道を失うわけですが、カタコンベの暗闇の中はどこからか電話のベルが鳴り響き、また時には行く手に忽然と埃を被ったピアノが姿を現します。そのうちに彼女らは洞窟の中で夥しい死体に紛れてうごめく何者かたちの巣窟へと、なすすべなく足を踏み入れて行くのでした。

・なんてこった、この映画のタイトルは嘘だ

 先ほども少し触れましたが、この映画に特にこれといった怪人は出てきません。原題は"As Above, So Below"。『上にあるものは下にあるもののごとし』とでも訳すのが正しいのでしょうか。錬金術の教えの一つのようで、作中にもしっかりとこの言葉が出てきます。誰も足を踏み入れる事がないはずの地下世界に日用品が姿を現すさまは、まさにこの言葉が仄めかす通りの景色だと思うのですが、この『地下に潜む怪人』という題もそれに似てあるまじき場所にあるまじきものが出現したような異質さを感じさせます。ていうか何考えてんだ。

 映画の魅力を語りましょう。この映画は常に登場人物の持つカメラを通して描写されるのですが、個人的にはいわゆるPOV、主観視点映画と呼ぶことには抵抗があります。というのもカタコンベに入ってからはカメラマンのベンジーの他に4人の隊員がヘッドライトにカメラをつけていまして、計5つのカメラの映像が適宜切り替わるのです。そしてこれが普通のPOV形式より心なしか見やすい。臨場感と見やすさを両立する演出になっているわけです。

 この映画はホラー映画であると同時に古典的な錬金術の宝探しの物語でもありますから、手持ちカメラは単に地下で起こる事態の陰惨さを伝えるだけでなく、謎を解き手がかりを見つけたときの登場人物の興奮や高揚もまた臨場感を持って届けてくれます。特に終盤は腹を括ったスカーレットがより下へより下へと潜って行き(帰れない)、それに伴って地下世界の様子もどんどん異様さを増していくので、なんだかよくわからない興奮が持続します。序盤の遺跡のシーンもそうですが、お化け屋敷を半狂乱で駆け抜ける快感とでも言えばいいんでしょうか。数多あるPOVホラーにはない、この映画ならではの魅力だと思います。

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