『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』を見た。一つのパンドラの箱、もう一人のベイダー卿。ギャレス!!!!!

 公開中の映画『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』を見たので簡単な紹介ののち感想を垂れ流したいと思います。監督であるギャレス・エドワーズの過去作『モンスターズ/地球外生命体』、レジェンダリー版『ゴジラ』にも触れつつ。以上3作のネタバレがあります。

・ローグ・ワン

 まずどういった作品であるか概略をサラっていくと、『ローグ・ワン』はスターウォーズのスピンオフ映画です。シリーズ1作目であるEP4(1977)の前日譚であり、これまでオープニングロールの文面で僅かに触れられているに過ぎなかった"帝国に対して反乱軍が初めて勝利を掴んだ戦い"を40年越しで実際に映像化した作品です。なんて息の長い映画だ。

 でもって本作のウリはEP4の10分前までを描いていること。白状すると僕は実際に見るまではこの文句を疑っていました。いやだってつい去年に観たEP7が言ってみればEP4に出てた人らの同窓会みたいなもので、そりゃ加齢に伴って顔つきが変わった人もいれば横幅が増えてる人も居ましたからね。そんな中往年のキャラクターが誰か一人くらいは顔を出してくれないと、いくら設定の上では10分前でもこちらからは説得力に欠けて見えてしまいそうなものです。

 ことレイア姫が出てくるとすれば当時のキャリーフィッシャーの顔に近い俳優を探してくるのか、それともまさかとは思うが目の覚めるような美人を起用して来やしないか、いやEP6で霊魂と化したアナキンの顔を別人に差し替えたスターウォーズならやりかねん、もしそうだったら爆笑だなとか、そんな事を考えてワクワクしながら劇場まで足を運んだのでした。話変わるけどハリソンフォード歳食っちゃったしブレードランナーのデッカードどうするんだろうね。

 で、2時間後にスクリーンで実際にレイア姫の姿を目にした僕は到底笑う所じゃなく、ただただ唖然としていました。その時感じたのはあそこにレイア姫が立っていることのその有難さでした。あれは僕が考えていたみたく俳優を変えてしまうとか、そういうことではいけませんね。キャリーフィッシャーの顔を一目見た途端、これまで目の当たりにした戦いこれから始まる戦いが頭の中でしっかりと噛みあい、互いに大きな意義を与えたように感じました。

 そして彼女が最後に言うセリフ『希望』。思えばこの映画は全体が一つのパンドラの箱をなしているのかもしれません。果たしてこの箱はいつ開いたのか? クレニックがゲイレンを捕まえに来た時か? 帝国の旗を「見なければ済む」と言っていたジンが父の死を通して設計図の奪取を決意した時か? 明確にこの時と言える瞬間はありませんが、ローグ・ワンの面々に限って言えば、スカリフへ向かうことは同時に災厄へ足を踏み入れる事を表していたのでしょう。

(12月29日追記:上のように軽口を叩いてすぐキャリー・フィッシャー氏が命を空しくしてしまわれた。月並みな言葉ではあるがフォースと共にあらんことを祈るばかりである。)

・アーソとスカイウォーカー

 作品解題をもう一つ。『ローグ・ワン』における主要人物の一人ゲイレン・アーソは、悪魔のような兵器開発者善の心を持つ父親という二つの顔を持っています。EP4のオープニングロールに出てくる"反乱同盟軍のスパイ"というのは、彼と帝国のパイロットから寝返ったボーディーのことを指しているのでしょう。一方でまた、彼がデススターの生みの親であることにも変わりはありません。

 この悪に身を置きながら、最後には善を助けるという人物像から誰かを思い出さないでしょうか。そう、スターウォーズシリーズの実質的な主役とも言えるダース・ベイダーその人です。ベイダー卿は進んで悪の道に踏み出し最後には改心した点でゲイレンとは違いますが、それでも二人の人生には不思議な符号があります。ギャレス監督は『ローグ・ワン』一作に、EP4~EP6のいわゆる旧3部作のエッセンスを凝縮しようとしたのだと言えます。

・……そしてギャレスだ

 ここからはギャレス・エドワーズ監督のキャリアから『ローグ・ワン』を見て行きたいと思います。監督の前作『ゴジラ』を見て、その徹底したドライなタッチや一個の人間を通して見るゴジラのダイナミックさに心惹かれた方も多いのではないでしょうか。またそれ以前から『モンスターズ/地球外生命体』で彼を知っていた方も少なからず居られると思われます。僕は先に『モンスターズ』を見ていたのですが、『ゴジラ』を見ても監督が一緒だと気づきませんでした。言われて見ればって感じ。

 さて、ギャレス監督の作品は今のところこの三作だけのようです。『ローグ・ワン』も含めて、そこに通底するテーマは"未知との遭遇"の一言に尽きるように思います。"未知"というのは過去二作で言うところの人類が始めて出会う怪物たちの事であり、『ローグ・ワン』ではデス・スターという帝国の秘められた暴力のことを指しています。これらの前で、登場人物が取るべき行動もわからず右往左往する。そんな怪獣映画的なプロットが今までのギャレス監督作品の基調であったと言えましょう。

 旧作に見られるフォースの導きのような、物語上戦う使命を帯びた人物は『ローグ・ワン』には出てきません。作中でゲイレンが口にしたように、彼らは代替可能な人物で、言ってみればたまたまそこに居合わせ、その場で戦う事を決めたのです。血筋がものを言うことにかけてはジャンプ漫画並、バリバリのヒロイックSFド真中のスターウォーズのことですから、これは珍しい。でもギャレス監督作品においてそんなことは当たり前で、そういう意味では本作の主人公はデス・スターであると言えるのかもしれません。

 過去作との比較をあと二つだけ。今作におけるベイダー卿のもったいぶり方ですが、なんとはなしに『モンスターズ』のタコゴジラを思い出しました。今回は引っ張っただけあって最終盤に怒涛の百人切りを見せてくれたわけですが、我々からするとEP6以来の生ベイダーなわけで、今の演出でスタイリッシュに戦うベイダーをもっと見ていたかったという気持ちもないではありません。しかしながらあの後でほとんど間を置かずEP4のどっしり構えた剣道スタイル(全然嫌いではない)に戻ってしまうことを思うと、あまりエネルギッシュに動いてもらうのも難があるという判断かもしれません。

 ギャレス監督と言えば怪獣同士の交尾です。監督は必ず映画に怪獣同士の交尾シーンをねじ込みます。自分の性癖に忠実なのでしょうか? きっとそうなのでしょう。今回もそうしたシーンを見逃すまいと目を皿のようにして見ていたのですが、終盤に至ってもどうもその前フリらしきものがありません。これはどうもおかしい、きっと本人は撮る気でいたがディズニーに見つかってトッチメられたに違いない、これだから巨大資本は……などとあらぬ疑いをディズニーに向け始めたときのことです。ありました。なんと画面に大写しになったスターデストロイヤーが、もう一機のスターデストロイヤーに覆いかぶさったではありませんか。

「や……やった!」私は思わず胸の中で快哉を叫びました。それも当然のことで、なぜなら私はスターデストロイヤーの交尾という前代未聞の光景を目の当たりにしていたのでした。偉いぞギャレス監督。君はたとえ撮り直しを命じられたって巨大資本に負けたりしなかった。聞けば今後大作映画は撮らない意向を示しているというギャレス監督。それでも私には彼の行く手に明るい未来が待っているような気がしてならないのです。

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