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奥多摩探梅行、河鹿園へ 2023年2月12日

 なんと⁉️一年ぶりの投稿となります。

 前回の千葉紀行も梅の頃、確か2月の終わりだったと思います。おゝ‼️本日は2023年2月28日、二月尽。夜の10時をまわったところ。今月のうちに間に合いますかしら。時計の針と追いかけっこしながら筆を進めてまいります。

奥多摩線 御嶽駅より
御嶽駅前 かなり積もったみたいです

 青梅駅より奥多摩線に乗り御嶽駅で下車。まだ山肌に一昨日の雪がうっすら残っておりました。東京都心では警報級の大雪にはならず、次第に雨へと変わりましたが、此処奥多摩ではかなりの積雪だったのでしょう。

 ちょうどお昼時。まずはお腹を満たします。
 駅より道なりに進み、細い階段を登り切った先に評判のお蕎麦屋さんがあります。多摩川だけに「玉川屋」さん。靴を脱いで畳敷の広間に上がると、ゆったりと配置されたテーブルと椅子。和洋折衷のどこか懐かしい雰囲気。旅人で賑わっています。老若男女、外国人の方もいました。
 とろろ大好き女のチョイスは「あつとろそば」。とろろが濃い。美味でありました。

とろろはご飯も良いがお蕎麦も良い❣️
風情溢れる店構え

 だらだらと坂を下って駅まで戻り、今度は川の方へと階段を下りて行きます。なかなかの急勾配、程なく「河鹿園」の建物が見えてきます。

現在は旅館としての役割は終えています
いざ、タイムトラベルへ❣️

  駅出るや河鹿聞こゆる橋見ゆる 玉堂

 日本画の巨匠、川合玉堂が馴染みの「河鹿園」を詠んだ句だそうです。玉堂は戦時中疎開で御嶽を訪れて以来、亡くなるまでずっと「河鹿園」を贔屓にしていたそうで、今あたかも見つめあうように、多摩川の向こう岸には玉堂美術館が建っています。

窓の向こうに玉堂美術館
まさしく眼の前で鑑賞できる美術品

 青梅は青梅街道の宿場町として発展し、かつては花街でもありました。「河鹿園」は今、老舗料理旅館の姿をそのままに美術館となっていますが、むかしは多くの芸者さんたちが華やかに出入りしていたことでしょう。当時の騒めきが一瞬、後ろを通り過ぎていったような‥。多摩川渓谷に張り付くように建てられた棟、細長い通路にはノスタルジィが溢れています。

歩いているだけで萌えます
モダンな男湯
此処に呼ばれたら芸者さんたちも鼻が高かったかな
一段一段に物語が刻まれて

 このままに遺るというのは何という有難いことでしょう。スクラップアンドビルドの東京に、まだこんな空間が存在するという奇跡。園主様に感謝感謝感謝です。

奥多摩いろは歌留多が展示されていました
料理旅館時代に使われていた器たち

 「我楽多市」と名し、旅館所縁の古物が展示販売されているお部屋もありました。売上は建物の維持に使われるとのこと。僅かばかりではありますが、モダンなお椀と古本を買わせていただきました。
 本棚に見つけた古本は『寒雷俳句 歳時記』。創刊四〇〇号記念出版とあります。お聞きしますと、何と園主様は「寒雷」同人とのこと。
「わたしも師系は加藤楸邨です‼️」
興奮の余り、声が高くなってしまいました。

 必ずやまた此処を訪れることと思います。季節ごとに通いたいと思う場処です。

昭和モダンの見事な意匠
大広間には加藤楸邨の句も

 あ、気づけばもう零時を当に過ぎてしまっていました。二月尽‥。
 私ごとながら二月はいろいろとしんどいことが重なり、正月からの俳句スランプも重く心にのしかかっていました。
 長い廊下の窓越しに早春の淡い光を感じつつ、駄目な時も駄目なりに詠んでいこうと思いました。

満開まではまだまだかな
足もとには桜草
春朧 お疲れ様でした

 
  梅の間へ梅が遅いと話しつつ 清瀬

 最後までお読みいただきありがとうございました。川沿いを澤乃井園まで歩き、美味しい澤乃井をいただいて、小さな旅を了えました。
 2023年は小まめに投稿‼️が目標です。またお目にかかれますように、がんばります。

 

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