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私の英語の先生はベトナム人だった

こんにちは。
「超」初心者さんのための英語学習
習慣化サポートコーチ
高橋清華です。

さて、私は日本で高校を卒業したのちに
カナダの大学に行くわけですが
公立高校で特に英語に力を入れていたわけでもなく
週に1度だけの英会話教室に通っていたくらいだったので
抜群の英語力が高校卒業時に備わっていたわけでもなく
すんなりと問題なくストレートでカナダの大学に入れた
わけではありません。

なので大学に入学できる英語レベルになるまでは
大学付属のESLコースで英語の基礎という基礎の
特訓を受けました。
文法ももちろんなのですがとにかく書かせられました!
今思い返してもあの時のESLの授業が私の今の
英語の軸になっていることは間違いないです。
断言できます!

そしてそのESLのクラスを複数名の先生が
担当してくれたのですが
その中でも当時私がとても尊敬していて
影響をうけた女の先生がいます。

彼女の名前は My-Van Troung 先生。

お名前からわかるように先生はベトナム人。
当時私が18か19歳くらいで
先生は恐らく40台半ばもしくは後半って
感じだったでしょうか。

先生はベトナム戦争の難民としてアメリカに来ます。
ただ先生が「何歳」の時に渡米されたのかは?です。
でも幼児期に渡米ではなかったと記憶しています。
少なくとも英語が先生の母語ではなかったことは
断言できます。

なので言葉のハンディキャップがありながらも
後に先生は名門スタンフォード大学を卒業され
その後カナダに渡りESLの先生として教壇に立たれます。

当時英語を必死に習得しようとしている私から見たら
先生の存在は私の ideal model そのものでした。

英語を母国語としない人が有名大学を出て
そして今は英語を母国語としない学生に
英語を教えている
そして英語の絵本まで出版されていた先生でした。
私から見たらもう「神」のような存在でしたね~。

そしたらある日私はMy-Van 先生に質問されます。
他の生徒はいなく2人で話をしていたのを覚えています。

”What do you want to be in the future?"

さっき書いたように彼女は私の憧れの存在だったので
素直にこう答えたのを今でも覚えています。

"I want to be just like you.
I want to catch up with you.

はっきりは覚えていないのですが
「先生にとっても英語が母国語じゃなかったでしょう?」
みないな話をしたような・・・

この私の答えに何と先生がコメントしてくれたかは
残念ながらもう覚えていないのですが
とにかく宿題をしてこない生徒にはとっても
厳しかった先生でした。

その厳しさにはやはり先生自身も英語で苦労された
からこその理由が少なからずあったのだと思います。

My-Van先生だって努力なしで当時の栄光をつかんだ
わけじゃなかったはずです!
相当の努力があったからだと思います。

先生に今でも連絡をとりたくてFacebookでお名前を
検索するのですが見つかりません😢

私が留学していた当時にこんな便利な連絡ツールが
あったらよかったのにな~と悔しくも思いますね。

では今日も読んでくださりありがとうございました。


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