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デミロマンティックは恋愛感情が薄いというわけでもない|デミロマンティックの私に見える世界

デミロマンティックは、恋をするのに時間がかかるし、人を好きになること自体が少ない。好きな人がいないときは、無理に恋人が欲しいとは思わない。

じゃあ、好きな人ができたとき、周りの人よりも恋愛感情が薄いかと言われると、そんなこともない。私の場合は、むしろ、かなり一途で強い感情を抱いていると思う。

この人を逃したら、人を好きになることはもう二度とないかもしれない

セクシュアリティにかかわらず、恋をしているときに「これ以上好きになれる人には出会えない」とちう感覚になったことのある人は少なくないのではないだろうか?「恋は盲目」とよく言うし、人を好きになったときには、冷静な判断ができなくなる。

好きな人とお別れをしなくてはいけなくなったとき、「もっといい人がいるよ」というのは定番の励ましのフレーズだ。失恋の直後はうるさく感じられても、次第にその言葉の意味を受け入れられるようになる。恋をすればするほど、あぁ、前に失恋したときも同じようなことを考えていたな、と客観視できるようにもなるかもしれない。

ところが、デミロマンティックは本気で思ってしまう。次に人を好きになるのは何年後だろう?

簡単に「出会いはたくさんあるよ」とか「次の恋に切り替えよう」とか言うけど、私が恋愛をすることがどれだけ稀なことかわかる?

カミングアウトしてないから理解されなくて当然だし、説明しても「失恋直後はそう思うよね」と諭されて終わりなのだけど。

デミロマンティックが失恋したときにはなんと声をかけるべきか?

では、デミロマンティックが失恋したとき、どんな心の持ちようでいれば克服できるのだろうか?

それは、恋愛しない人生も素晴らしい、と確信できるかどうかだと思う。

デミロマンティックを自認する前、20歳過ぎても恋愛経験がほとんどない自分はおかしいと思っていた(恋愛する人とアセクシュアルの中間なんてないと思ってた)。だから、好きな人ができたとき、ようやく私も普通に恋ができる、と舞い上がってしまった。

この人を逃したら、次は何年後になるだろう?私は何歳になっているのだろう?そんな不安が、焦りになって、相手の恋愛にガツガツしてないところに安心して惹かれたはずなのに、何も進展がないことでまた不安になった。付き合うことがゴールのようになっていた。

無理に恋愛はしたくない。だから、好きではない人からのアプローチもかわして、好きな人に出会えることを待っていたはずなのに。結局、自分だって「恋人がいる」というステータスが欲しいだけだった。そんな気持ちで向かわれたら、自分は絶対に拒絶してしまうのに、自分が同じことをしてしまっていた。

もっと早くデミロマンティックを自認していたら、気軽に恋愛と向き合えていたかもしれない。

恋愛しているときも恋愛していないときも、そのプレッシャーに押し潰されないこと、恋愛しなくてもなんにもおかしくないんだってことを、自分の中の、世間のスタンダードにできればと思っている。



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恋愛しない人が浮かない世の中に変える活動をするために使います。エッセイ以外にも小説を書いたり、歌も作っています。