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常に母の味方でないと捨てられると思った|アダルトチルドレン克服のための過去日記③

母は父親の家族(いわゆる姑)と仲が悪い。

これだけ言うとよくある話に聞こえるが、その敵対構図みたいなものに巻き込まれるのが辛かった。母は母の実家で父親の実家の悪口を言うし、父親も父親の実家で私の悪口を言ってるだろう、というのが口癖だった。父親に面と向かって、「私がいたら悪口話せないでしょ?」と言っているのを見たこともあった。

そもそも、父親の悪口を聞かされることが多かった。そのうえで、「(私の名前)のそういうとこお父さんそっくり」とか「そうやって言うってことはお父さんの味方なんだ」とか言われることが多くあった。まだ一桁の年齢の子供にとって、母との関係はこの世のすべてであって、そういった発言は母に見捨てられることと同等の意味を持った(たとえ母は冗談のつもりだとしても)。

「私は実家で泊まるから、お父さんとふたりで(父親の実家で)泊まりなさい」

「私が死んでもお父さんとふたりで暮らすのでも幸せでしょ?」

「事故でお母さん死んでもひとりでも生きていたいと思う?」

最初のふたつは「ヤダ」って言っていたと思うけど、最後の質問は「うん」って言ったら、「あーそうなんだ…」ってがっかりされた記憶がある。だって小学生くらいでまだちょっとしかいきてないのに、なんで親と一緒に死ななきゃいけないんだよ。

だからそういうふうに言われるとムキになって否定したし、自分も父親の悪口を言うようになった。大人気ないと思われるかもしれないが、社会人になって数年が経った今でも父親と普通に話せずにぶっきらぼうな態度をとってしまう。

母親に「(私の名前)のこういうとこお父さんに似てる」と言われると未だにムッとしてしまい、そんなに怒らなくていいのにと笑われる。そうさせたのはあなたなのに、笑ってる意味がわからない。自分が見捨てられないためにそうすることが体に染み付いてしまったのに。

最終的にはどちらの祖母も嫌いになった。対立構造が私の中でできあがってしまったから、どちらの味方にもなりたくなかった。というか田舎特有の干渉してくる感じが大嫌いで、母親でもうざいのにもっと遠い立場の人が干渉してくるんじゃねえと思った。もう何年も祖父母には会っていない。

恋愛しない人が浮かない世の中に変える活動をするために使います。エッセイ以外にも小説を書いたり、歌も作っています。