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舞台『CAN』イタリアツアーのレポート③ようやく演劇の話

今回の最も大きなミッションはVISIONI2024という国際児童舞台芸術フェスティバルでの『CAN』の上演でした。

しかし、せっかく行くので!ということで、レポート①でも書いたSayaさんのコーディネートで、さまざまな地でも演劇のお仕事をさせていただくことに。

フリースクールにあるホール。この地域のプロの劇団の稽古や公演も行われているという。とてもきれいでいろんな使い方が出来るフラットなスペース。

最初に伺ったのはフリースクールでした。小学校の高学年くらいから高校生くらいまでの子が通う学校でワークショップにはそこで働く方も含めて12名の方が参加してくださいました。
翌日は、公立中学校で2時間ワークショップは2クラス。

言葉の通じない中で、何をするか?自分の演劇感を問われるわけです。五感をフル活用するようなイメージ。フリースクールと公立中学校でも全く雰囲気が異なります。勝手に、『イタリア』は、とかカテゴライズしていましたが、当たり前ですが、みんな違うんだなと思い知らされます。

通訳のSayaさんを通じて進行。

缶を使って工作も。

このワークショップをさせていただいたことでの私の学びは、公演にも良い方に作用しました。実は海外公演が不安だったのです。
十分に稽古に時間を費やすことが出来ず。まだこれだ!という確信が持てないまま出国しました。
新居浜の幼稚園で試演会をしたときは、ずっと大笑いの大うけで。それは本当にありがたいのですが、少しうけすぎ笑。という感じでした。

こんな雰囲気にはイタリアではならないだろうと思っていました。
これまでに観た海外の児童演劇のレベルがとても高いことはよく知っています。それを見慣れている子どもたちの目にどう映るのか。不安しかありませんでした。

終演後皆さんがとても興味を持ってくれました。

しかし、心配しているよりもずっと、皆さん目の前にいる日本人=ジャポネーゼを受け入れてくれました。私が舞台上で何をやろうとしているのか?を興味深く見てくれているのが、客席から伝わる。その興味に答えるように芝居をすればいいのか。と途中で気付くのです。

これは、国は関係ない学びです。いつだって基本は目の前にいるお客さんに対して芝居をやる。こんな当たり前なことを思い知らされます。
1人芝居は私の20年の演劇生活の中で初めての試みでした。缶との関係やギミックの面白さに重点を置いていたのですが、そこだけではないのでは?と思い始めます。

アンドレアさん

セリフのない劇で重要になるのは、音楽。そして身体性です。
ダンサーの作品がとても多いし、生演奏もほとんどの作品で見られました。そんな中で、身体性でも音楽でもない『俳優』も少ないながら見つけることが出来ました。彼らの演技が僕の目指すロールモデルでした。その一人が写真のアンドレアです。
このことは話していなかったのですが、すべての公演を舞台袖で見てくれていたSayaから、「なんかイタリアンな雰囲気の芝居になっていましたね?」と言われました。

板の上にただいる。それだけでお客さんで見ていてにやにやしちゃう。そんな俳優さんがいるのです。僕もそこを目指さなきゃと。でもどうすればいいかは全くわかりません笑。でも悩んだとき。イタリアンな俳優さんたちの立ち方をこれからも思い出すことでしょう。これが僕の今回の一番の収穫です。漫才師の間でよく耳する「仁」というところに近いのかもしれません。

その領域はイタリアよりも遠い場所にありそうです。

が、いつか行きたい場所です。


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