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うめこちゃん(津田梅子)

むかしむかしあるところにうめこちゃんという女の子が産まれました。

うめこちゃんが産まれたときの日本は、女性が勉強をしたり、仕事をがんばったりすることが難しいときでした。

むかしから、お仕事やお勉強は男性、女性は家にいて家のことをすると決められていたからです。

しかし、うめこちゃんは小さいころから勉強をすることができました。お父さんやお母さんなど周りの大人たちが勉強させてくれたからです。

国の偉い人と一緒にアメリカという国に勉強しにいくこともできました。

うめこちゃんはちょっとだけ勉強するのではなく、アメリカに住むことにしました。

アメリカでたくさん学んだことを活かそうと日本に戻ってきました。

しかし、日本ではまだまだ女性がお仕事をするところはとても少なく、うめこちゃんはお仕事をすることだけでも大変でした。

やっと見つけた仕事は、学校の先生でした。

しかし、やっぱりうめこちゃんはもっともっと勉強をするためにアメリカにまた行くことにしました。

アメリカでの勉強をまた日本に持ち帰り、日本の学校をどんどんと作っていったのです。

なぜなら、まだまだ女性が勉強するための場所や学校が少なかったからです。女性のための学校を一生懸命作りました。

そして日本でも勉強したいと思った女性が勉強できるようにしていくことにしたのです。

いまでは当たり前のことですが、うめこちゃんの勉強のおかげでどんどんと女性が活躍することができるようになったのです。

そして今でも津田塾大学として多くの人たちが勉強しています。

おしまい

保護者様へ(大人のコソコソ話)
2024年から5千円札の顔となる津田梅子。彼女の生涯はその当時では非常に珍しいものでした。6歳からアメリカに留学し、日本語が話せないほどアメリカでの生活が長い梅子は、帰国後、日本の儒教的価値観という壁に当たります。妻は黙って夫についていくべき、女子教育は良き妻になるためだけの教育だったからです。
梅子は、縁談が持ち込まれますが、やはり家庭に入り、夫のサポートをするような縁談ばかりで、その後梅子は「私に二度と結婚の話は持ってこないでください。もううんざり」と語っています。
また梅子は教育熱心で、英語教師をしているときも、学生のことを熱心に教えていたようです。
2022年の今でもまだまだ議論の余地が残る男女平等ですが、津田梅子の働きがあったからこそ、今の世の中が作られたことは紛れもない事実です。もし今、津田梅子が生きていたら、どんな風に今の世を語るのでしょうか。

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