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「いじけ」をやめると人生が好転するんだなぁ(当社比)前編【わたくしごと】

おはこんばんちは!キヨリンドです!

アーユルヴェーダ沼にハマってさあ大変、5年目突入。
アーユルヴェーダの面白さをお伝え&自然に囲まれた場所にアーユルヴェーダサロンを作る事を目標にアーユルヴェーダ関連記事なんぞ書いております。よろしくお願い致します。

さて!先日、誕生日を迎えました。
おめでとう、と思って下さった皆様、ありがとうございます。
嬉しいです。

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今年の誕生日は、ちょっと朝からエモーショナルが爆上がりだったのですね。ナニコレ?状態。
40ウン年間生きてきて、こんな気持ちの誕生日は初めてでした。
生まれ変わったのかもしれない笑
あ、違う!

「いじけ」をやめたからだ。

と、気が付きました。
本日はそのことについて書いていきますね。書き進めるうちに、長くなりそうだと察知致しましたので前編後編に分けました。
書き途中のKiyofumiさんとのコラボ記事があるのに!!(勝手にコラボ)
Kiyofumiさんとコラボさせて頂こうとしている記事は→こちら
よし、次回の記事で完成させるぞ(自分を追い詰めないと出来ないタイプ)
あ、でもこれ前編後編あるから、2つ先の記事で書きますね!(どうでもいい)
では、レッツゴー!

◆どうしてこうなった

私は、数年前まで、いや、数か月前まで
いじけこじらせめんどくさい人」でした。
幼い頃に、充分に甘え、褒めてもらい、自分の存在を肯定できるような、そういった経験があまり無いのが原因だと思います。
つい数ヶ月前の事。
もう私はいじけこじらせめんどくさい人なんかじゃない、大丈夫」と、50%真実、50%言い聞かせで(笑)過ごしていた時です。ある出来事を思い出しました。

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◆パワーワードの「元気でね。」

時は、私が10歳の頃までさかのぼります。
両親離婚に伴い、私を生んでくれた母親とは離れて暮らしておりました。
突然、その母親の祖父母に会いに行こうと思いたち、会いに行ったことがありました。本当に急に、ふと「会っといたほうがいいかも」と、思ったのです。
時同じくして、父親と父親がお付き合いしている方との間に新しい家庭が出来ようとしておりました。
新しい家庭がガッツリ始まったら会いに行きづらくなるよな、空気的に、と思ったのかもしれません。いや、そこまで深く考えていなかったかも笑。

5歳の頃に数ヶ月過ごしていた祖父母の家へ、記憶を頼りに訪ねました。(昭和って凄い。)
お小遣いを持っていき、みんなでよく行った八百屋さんでぶどうを買っていったっけ。10歳で手土産持参とか笑。
祖父母は驚きつつも喜んで迎えてくれ、一晩祖父母の家で過ごすことになりました。(ひょっとしたら父が事前に連絡していたかもしれない笑)
その間、祖父母は母親に連絡を取ってくれ、母親は翌日に会いに来ることになりました。(私が母親の連絡先を知っていたかは覚えていない笑、しかし自分では連絡を取っていなかったもよう。)
そして翌日。私たちは駅前の喫茶店で会いました。(昭和感アゲイン)
6年ぶりに合う母親は、髪が伸び、巻き毛で、とても綺麗になっていました。その変化は私に、「母親は母親の人生の中にいて、それを私は知らない」と、「私がいなくてもこの人は、とても幸せなのかもしれない。」と思わせました。
何を話したかは、覚えていません。しかし、

「元気でね。」

帰るとき、母親が私にこう言ったことを、今でも覚えています。
それから、母親とは会っていません。

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◆まだおったんかいワレェ

そして、現在に戻ります。
本当につい数ヶ月前、気が付いたのです。

「産んでくれた母親が、私とずっと会えなくても大丈夫そうであること。」

その事が、
私自身が私自身の存在を、
肯定できてなかった原因だったのだな、と。
10歳の私が、とても傷ついていたことに、その傷を誰かにわかって欲しがっていたことに、気が付いたのです。
まだいたよ。あの頃の傷ついた私が。

◆迎えに行ってあげたよ

いや、スーパースパルタ祖母もかなりキテましたから、ラスボスだと思っていたわけですよ。祖母も相当なこじらせめんどくさい人だったのだと思います。「グズ、ノロマ、役に立たない、消えてくれ」などと言うのに愛情は感じたので。めんどくさっっ!!!笑
で。
母親から「元気でね。」とお別れの言葉を告げられた事が、影のラスボス級傷だったのだと気が付きました。
そして、もっと取り乱して、
イヤだ!最後みたいに言わないで!私とこのままずっと会わなくても平気なの?と、言いたかったのだな、
思い返せば、自分の本当の気持ちを言えない、いや、言おうと選択してこなかった人生だったのだな、とも気が付いたのです。
あの頃の私に、
「もう大丈夫、今まで色々あったしこれからも色々あるけど、40ウン歳のあなたは生きたいように生きる自分に近づけているよ」と、言いに行ってあげました。(イメージ)

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◆開眼

脱いじけこじらせめんどくさい人を目指してから、数年が経ちました。
よし!抜けるぞ!で指をパチンと鳴らしたら一気に変わるわけではなく、
勘違いや思い込み、よくわからないルールや世間の声などに疑問を持ち、自分はどうなの?と聞いてみる事。
辛いこと、楽しくないこと、やりたくないことをやる状況に自分を置いているのは自分自身、誰のせいでもない、と腹おちさせる事。
などなどを毎日思い出す。地味な筋トレをしているような感じですね。
そうすると、毎日変化を遂げているのがわかります。(毎日は言い過ぎた)
実際、まだまだなのですよ。まだまだ外したい観念がある。いつまでたってもサボるし笑。
でも、so far so good (今のところはいいかんじですね)で、いいじゃない!

◆まとめ

そこから迎えた誕生日。
「生まれてよかった」と心から思えたのです。
そこから書くと、エセポジティブ気どりかな、と思って経緯を書くことにしました笑

後編に続く!

あなたあってのキヨリンドでございます。

スキ、コメント、フォロー、大大歓迎でございます。

キヨリンドでした!


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