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【沖縄】8月3日はエイサーの日【カルチャー】

こんにちは。キヨリンドです。
2021年8月3日現在勤務しております辺戸岬観光案内所は本日も通常通り10:00〜17:00で開所しております。

「アーユルヴェーダを日常に取り入れ自然界と調和する」試みをしております。ご興味ございましたらこちらもどうぞよろしくお願い致します。

さて!本日8月3日は「エイサーの日」とのことです。
皆様、エイサーはご存知でしょうか。
そうです。沖縄といえば「エイサー」です。(雑〜)
と言うことで、せっかくなので「エイサーとは何か?」について調べてみたいと思います!レッツゴー!

◆ご先祖様たち、いらっしゃーい!

私の認識ではエイサーとは、「亡くなった人の霊をお盆の3日間で迎えそして見送るために行う」と言うものです。
では早速ウィキを見てみましょう笑

エイサーは、沖縄県と鹿児島県奄美群島でお盆の時期に踊られる伝統芸能。
この時期に現世に戻ってくる祖先の霊を送迎するため、若者たちが歌と囃子に合わせ、踊りながら地区の道を練り歩く。
(中略)
地域によってはヤイサー、エンサー、七月舞(しちぐゎちもーい)、念仏廻り(にんぶちまーい)とも呼ばれる
引用:ウィキペディア「エイサー」より

お、だいたいあってたぞ!笑

◆歴史

東北出身の袋中上人が1603年から3年間首里に滞在して浄土宗を布教したのを契機に、沖縄では王家や貴族の間を中心として念仏が広まった。18世紀中頃には、托鉢や芸事を行なう「念仏にゃー」(念仏屋、にんぶちゃー)をお盆に招いて先祖の供養を行なう風習が、首里の屋敷町などで存在していたという。当時は現代のエイサーと形式が異なり、門付歌と念仏歌だけで踊っていた。
引用:ウィキペディア「エイサー」より

なんと、念仏を唱えると言うことが原型だったのですね!
一体、どういう経緯で念仏を唱える行為がエイサー踊りに発展したのだ笑

明治以降になると、念仏の詠唱を村の若人が代行する形で庶民の間にエイサーが普及していった。沖縄本島中北部から県内全域へ伝播して大衆化する中で、民謡などを取り込む例も増えた。与那国島で始まったのは80年ほど前と言われている。なお、戦前は太鼓を使う例は少なく、浴衣などの普段着姿で手ぬぐいを頭に巻くというスタイルが主流であった。念仏にゃーの存在は大正の終わりごろにはほぼ消滅している。
引用:ウィキペディア「エイサー」より

なるほど〜。こうして歌って踊るエイサースタイルが出来ていったのですね。
「念仏唱えるだけじゃあ、ご先祖様つまらなくね?」と思ったのでしょうか。なんて自由で素晴らしい発想なのでしよう。それを許可した年配者もなかなかやるね。
いつの世も、若者は歌って踊るのが大好きなのですね。
インドの神様に捧げる歌の中にも、打ち込み系バンバンでかっこいい曲が存在するし、やはり凝り固まって「〇〇であるべき!」と極度に制限してしまうことは弊害でしかないですねえ。。。
我々初老は(笑)若者の豊かで自由な発想力を妨げるような行為をしてしまわないよう注意が必要だと実感いたしました。
誰からも制限のない行動が、成功への道ですね。

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◆名前の由来

浄土宗系念仏歌に挟まれる囃子の一つ「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー」から来ているとされる。また、「おもろさうし」に「ゑさおもろ」(「おもろ」は歌謡の意)の語があり、これを由来とする説がある。
引用:ウィキペディア「エイサー」より

ほおおおおお、、、、目から鱗ですわ〜。と言うことは、ですよ?
ブッダが生まれたインドと深いつながりがあると言うことですね?(そうかな)

◆だって、ほら!↓

踊りを通して、他との関係が縁となって生起することで、五穀豊穣、大漁追福、商売繁盛、家内安全、無病息災、安寧長寿、夫婦円満、子孫繁栄、祖先崇拝や招福祈願、厄除祈念や「ハレ」に纏わることなど多岐に渡り繋がりを大事しながら踊っている。
引用:ウィキペディア「エイサー」より

「ハレ」、、、インドでも寺に行くと修行僧が挨拶的に「ハーレー〇〇(神の名前)」と言って合掌していました。
なんか、繋がってない?!?!笑。
さておき、やはり世界中、歌と踊りは大地と宇宙とを繋ぐ行為というのがよくわかりました。

◆ところで、どんなことをするの?

そうそう、なんとな〜くはわかるけど、どんなことをするのが「エイサー」なのでしょうか。

エイサーは旧暦の盆の送り(ウークイ)の夜に行なわれる。近年は盆の迎え(ウンケー)から数夜連続で行なわれることが多い。 旗頭を先頭とした一団は、地域の各戸を回り、それぞれの家の祖先の霊が無事に後生(グソー、「あの世」の意)に戻れることを祈願することを述べ、エイサーを踊る。踊りが一段落すると一団は酒や金を受け取って次の家へ向かい、祈願と踊りを繰り返す。このようにして家々を回り歩くことを道ジュネーと呼ぶ。 エイサーは町内会単位で結成されることが多いが、その境界では複数のエイサーがかち合うことがある。この時には双方が一層声を高くし、踊りに熱を入れる。これをエイサーオーラセーまたはエイサーガーエーと呼ぶ。
引用:ウィキペディア「エイサー」より

ダンスバトルみたいになっとるやんけ笑。
「金を受け取って」という部分を見ると、僧侶が亡くなった人のためにお経を唱えるというものの名残のように見えますね。本当にそうだったんだ(笑)
迎える日、中間日、見送る日と三日三晩続けて行う地域もあるそうで、最後の方はトランス状態になる人もいるそうです。そりゃそうだ笑。
なんかもう、完全に沖縄独自のカルチャーですね。

◆構成

エイサーは、地域の集落単位で若者を中心として一団(青年会)を結成して行なわれる。
引用:ウィキペディア「エイサー」より
太鼓エイサー
太鼓エイサーは現在では全県的に盛んであるが、特に沖縄市や勝連半島など中頭郡のものが有名である。伝統的なスタイルに比べてマスゲーム的な要素が強いため、人数が多い方が見栄えがすることが多い。一つの集団が数十人から時には100人を超えることもある。
引用:ウィキペディア「エイサー」より
旗頭(はたがしら)
エイサーの先頭に立ち、その地域の名を記した高さ3~4mの旗を持つ。エイサーオーラセーに際しては、自らの一団を誇示するためにことさらに高く旗を掲げたり、相手の旗とぶつけ合ったりする。
引用:ウィキペディア「エイサー」より

え。笑。ダンスバトルアゲイン笑。

太鼓打ち(たいこうち(テークウチ))
エイサーで太鼓を持って踊るのは基本的に男性である。盆踊りで櫓に置かれるような直径50cmほどの大太鼓(ウフデークー)、鼓のような形をした直径30cmほどの締太鼓(シメデークー)、片面だけに皮を張った直径20cmほどのパーランクーの3種がある。地域によってはパーランクーのみ、大太鼓と締太鼓のみといった構成のこともある。太鼓踊りは頭巾(マンサージ)を被って、一団で統一された打掛、羽織等を着る。下半身は白ズボンに黒白ストライプの脚絆を付けたりニッカボッカーをまとい、足袋を履いている。
また、勝連半島の一部では白い下着の上に黒っぽい着物を着て裾をからげる、遊行僧のような格好がみられる。
引用:ウィキペディア「エイサー」より

こちらの出立ちが「エイサー」と聞いた時に思い浮かぶ姿ではないでしょうか。

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手踊り(ておどり(ティモーイ、テーモーヤー))
男性が太鼓を持って踊るのに対し、女性は何も持たずに踊る。が、地域によっては四つ竹(ヨツダケ、ユチダキ)や手拭(ティサジ)、扇など、道具を使って踊る所もある。男性は太鼓打ちと同様、女性は袖をまくった絣を着ることが多い。
引用:ウィキペディア「エイサー」より

なるほど〜絣を着るのですね〜

地謡(じうたい(ジカタ、ジウテー))
一団の先頭又は最後尾で三線を弾き、唄う。主に青年会のOBや地域の名人・老人であったりする。通常2-6人が地謡を務める。かつては一団とともに歩くのが一般的であったが、現在では軽トラックの荷台等でマイクの前で演奏するのが普通である。
引用:ウィキペディア「エイサー」より

まさに、若者と年配者のコラボではないですか!素晴らしいな〜。

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京太郎、三郎(チョンダラー、サナジャー、サンダー、サンラー)
京太郎は元々は日本本土から渡来した念仏の芸であったが、古くからエイサーの中の重要な要素であった。これを務める男性は顔面を白く塗り、勇壮な太鼓打ち、優美な手踊りの脇で道化役を演じる。また時には隊列の整理役なども担う。
引用:ウィキペディア「エイサー」より

隊列の整理役(笑)

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太鼓エイサーの主体は太鼓と踊りである。地謡の演奏に合わせて太鼓を叩いていく際に、特に締太鼓とバーランクーは身体をひねる、しゃがむ、跳ぶ、回転するといったアクションを見せる。数十人の太鼓踊りの統一感、一斉の躍動といった勇壮さが、エイサーの大きな魅力の一つとなっている。手踊りは後方にあるのが一般的である。 一方、手踊りエイサーは琉球舞踊を基礎とした優美でたおやかな動きを特徴とする。三線が伴奏する場合は歌に合わせて踊りの輪が回転の向きを変え、全体的にややテンポが速い。太鼓伴奏の場合は、ゆるいテンポと速いテンポの曲を交互に歌い、踊る。
引用:ウィキペディア「エイサー」より

う〜ん!!!!じっと念仏を聞いてるのと比べたら1億倍楽しい!!(不謹慎)

◆まとめ

ほとんどウィキのコピペになってしまいましたが、いかがでしょうか笑。
あのー、「完全に沖縄バイヤスで申し訳〜」なのですが、

やっぱり沖縄の風習ってかっこええええええ

と、なりました。
そして、辛いけれどもその辛さを明るさに変えていくのが得意なところが、

ノリがラテン系やん

とも感じました。笑。
昨年も今年も祭り、イベント、全滅で、
沖縄に来てからまだ1度もカルチャーイベントに遭遇していないキヨリンド。
とても残念でございます。
早く皆様にリアルレポート(写真付き)をお送り出来ますことを願います!

最後までお読みくださりありがとうございました。

あなたあってのキヨリンドでございます。

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キヨリンドでした!

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