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雑記

色々まとめ!


1 最近インスタ楽しい

ストーリーズって機能よくわからんかったけど、なんでもライブ的にシェアできる機能ってことか。人の投稿を載せられるのが良い。しかも色々書き込めるし。好きなアーティストのストーリーズから色々辿っていくと新たな出会いがある。数年前?もっと前か、流行ったtumblerみたい。tumblerは良い「画像」を探したり陳列するのに便利だったけど、InstagramはSNSだから、「画像」でもあり個人の投稿でもある。スマホのカメラ、もしくはタッチスクリーンと直接リンクした画像。そこが良い。かっこいい画像ってネットには山のように溢れていて、tumblerをやっていた頃は画像酔いというか、もうよかろうもん、って段々飽きてきた。思い入れを持ちにくいというか。それでインスタが出てきて、インスタはパソコン=ネットじゃなくて、スマホアプリで、まあそれもネットには違いないんだけど、SNSという側面が強い新しい画像フォーマットだった。ネットの海に漂っている情報ではなくて、個人の投稿としての縛りがある。投稿画像を簡単にコピーできなかったり、外部に情報を持ち出しにくいし、リンクも貼れない。最初は使いにくいなあという印象だった。これ、個人で撮った写真上げて、変な加工して、知り合いに見せて、いいねもらって、何が楽しいわけ?Facebookにたいする生理的嫌悪感と似たような感想。しかしなんだかんだやり続けているのは、「写真」が単純に見やすい、整理できる、からかも。僕個人のページは完全に日記として使っていて何かを思い出したり確認する時にインスタを参照することも多い。日記として普通に便利なアプリ。最近はそこに、他の作家のポストを見る楽しみが出てきて、主に海外のアーティストだけど、生きる喜びをもらっている。日本のアート業界ばかり見ていると、自分の作品もつまらなくなりそうで。厨二みたいなこと言ってるけど、ほんとにそうやもん。すごい作品を見つけた時の嬉しさやショックは僕にエネルギーをくれる。なんでかな、tumbler的な「画像」だとイマイチなのに、Instagramの「写真」だと燃えてくるのです。やっぱりライブ感が、アウラが、違うんだろうか?もちろんインスタに上がってるからってライブものとは限らない。パクリも本物もまるでわからない、ネットの産物。でも、僕の持ってる同じiPhoneからは生まれ得ない画像を、その時その人だから出てきた写真を、作品を見ると、ドキドキしてしまうのです。しかも遠く離れた海外から同じ時間に届いたってことは、運命ではないか?「写真」には色んな条件が凝縮されていて・・・・モチーフやその時の構図、天気や気分まで、、奇跡的な偶然が積み重なって今画面に表示されているわけ。それを思うと嬉しくなってくるよね。例えそれが撮られた写真ではなくコピーであっても、その人が今ポストしたというのはやはり価値がある。その意味を考えるだけでも人生の数分は無駄にできる。


2 YouTuberデビューした

この夏ついにデビューしたのだった。慣れなくて最初嫌すぎて挫けそうだったけど、やってみると楽しいもんです。一番言いたいのは、YouTubeってすげーな、夢あるよな、ってことですわ。ホスピタリティがすごい。僕くらいの面倒臭がりで短気な人間でもちゃんと優しく導いてくれる。誰でもマジで動画上げられる。アップすぐできる。短い動画なら5分もかからない。ちゃんと編集なんかしなくたって、上げれるんだよな。すごい時代です。今更かよ、って思いますけど。思えば、PDSが高校生の頃ホームビデオ的なノリで投稿してた頃、あれが始りであり原点だったのだ。僕も先輩YouTuberを見習って今後も励んでいきます。


3 展示見た

ずっとブログ書いてなかったので、見た展示のこと思い出しつつ。
坂口恭平さんのパステル画展をメリーゴーランド京都で拝見。Twitterで集中的に取り組んでいるパステルの絵を見て興味を持ったので行ってきた。今、風景を描く意味とか、iPhoneで見るパステル画の意味とか、気になりつつ。作品は思ったよりも小さくて、かわいい。しかし生で見ると、坂口さんの絵のテクニックがよくわかりました。今度教室でパステルしてみたいなと思いました。あと久しぶりに本買いました。
坂口さん見てて思うのが、変化することって大事だと思う。自分の作風に固執していないのが良いと思う。僕みたいな人間は自分の作品をコピーしているだけになっているんじゃないか?と思う時がある。スタイルを守るだけで、そこには何の意味も目的もない。そんな時が無かったか?今まさにそうなっていないか?本来作品ってもっと変化していいと思うんです。変化するべきだとも思います。なぜなら世界とか世間は日々変化しているから。コロナの世界になっちゃって、五年前と作品が変わらないのはおかしくねえか?特に、絵ってメディアという側面もあると思うから。生きたメディアであってほしい。人が手で描くんだから。一番生きてる伝達手段だ。そう思うから、坂口さんが今パステルで風景を描き続けて発信しているのは、何か価値があるんだと感じます。だから見ています。

あとは、何見たっけ?
見てないけど、qpさんの個展は見に行きたかったな。
画集だけ買いました。新作展ということで、まったく前回と異なることをやっている。前回は「装飾」ということで自らの手で線を引き色を塗る、図案、セル画に浮いたモチーフ、アールヌーボー、ということだったが、今回は、描いていない・・・・タッチが全くないわけです。これは伝統的な水彩特有の技法であり、水の浸透力によってタッチを消し去り平坦な色面を作り出す技。そこに新たな息吹を、遊びを発見した作品?画集と一緒に作られた制作風景の写真集には、水水しい透明水彩の煌めきが記録されている。絵の具を愛するものならお馴染みの愛しい光景。しかしそれを見てもqpさんの作品のプロセスの詳細は全くわからない。予想はできるけど、それでこんなに美しく複雑な色面が作れるのか、わからない。
コロナ自粛明けの教室で水彩画に取り組んだ。qpさんの個展の影響も少しあったけど、単純に今まで水彩絵の具に向き合う時間が少ないと感じたからだ。小学校からみんな図工で水彩で絵を描くが、うまく使いこなしている者はごくわずかだ。水彩は簡単ではなく、性質を意識して学ぶ必要がある。多くは水分量の難しさにある。上手く塗れない、ムラができる、全て水のせい。だから水の扱い方を学んだ。僕自身も学び直し、水彩画の魅力を再発見した。それは先ほどのタッチを消し去る平坦な色面にあった。本来、これはモチーフのきれいな「塗り方」であり絵の中で意識されることはない。意識されないようにタッチを消しているわけだから。しかしqpさんは水彩で色と遊ぶうちにその透明の美しさのみを取り出し、結晶化させている!!
こういった絵は難しい。本当の意味で何も描かないというチャレンジは画家にはできない。絵にならないから。自分の絵にすることにやっきになるのが画家だから。qpさんは画家の道具を使いながら全く違うことをやっている。そしてこれまでに見ることのできなかった美しさを出現させている。
個展タイトルの「明るさ」って目に見えない光のこと?qpさんの好きな言葉であることは間違いない。


4 大阪万博ロゴ

いいですね!たのしくて、大阪らしくて、とても面白いです。大阪万博に一ミリも興味無かったけど、ほんの少しポジティブなイメージ持てました。ロゴの力は偉大である。村上隆さんの目玉にも見えたけど、そこは触れない方がよいのか悪いのか・・・・・・・・


4 じぶんの絵のこと

まだ油絵やってます。絞れてきました。大きいのも描いてる。それなりに溜まってきました。自画像です。でも、急に全然違う絵も描きたくなってきました。静物とか、空想の風景。そっちは油絵じゃなくてもいいかも。粘土とかでもいいのかな?
とにかくまた、見せる機会を作ります!

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