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お父さんと私

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お父さんの病気と死とそれを乗り越える過程の記録。 大好きなお父さんに見つかった病気、逃れられない死。荒波のように揺れ動き、そして静かに穏やかになっていった私の気持ちや起きたことを…
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#父と娘

他界したお父さんと話をした日

またスピリチュアルな話なんだけどまだぎりぎりお盆だしいいかな笑 私のお父さんは、4年前に他界している。62歳だった。 病気で余命宣告もされていたので、周囲も心の準備がしやすいといえばしやすいのかもしれないけれど 私にとって、父の死は消化しきれない思いがたくさん渦巻いていた。 「お父さんは苦しみながら、もっと生きたかったのに死んでしまった。かわいそうだった」 そういう思いが、私を支配した。薬の副作用や、重くなっていく病症に耐え切れないで「辛いよ」という父が脳裏に焼き付

お父さんと私⑯ 父への抑圧していた思い

父が亡くなった。 深い悲しみの中にいる時がある。 けれど同時に 自由への開放を感じる時がある。 そんな自分に嫌悪した。 父はよく、「自分は長くない」と子どもだった私たちに言う人だった。飛行機に乗って出張に行く前日、「飛行機が落ちて死ぬかもしれないから覚悟しとくように」と言われた。それが冗談だったのか、本気でそう思っていたのか、父の心はわからないが、素直な子どもの私は真に受けた。お父さんが死んでしまうと思うと、怖くて怖くてしかたなかった。 お父さんが無事に帰ってきますように

お父さんと私⑰ 「自分で」と「納得したい」

父が亡くなって2年経った頃、私は娘を出産していた。 妊娠後期頃から、私の心身は思わしくなかった。 体中が痛い。 口の中が痛い。 全く眠れない。 お腹がはるので、寝ていないといけない。 子宮頚管が短くなるから、動かないでと言われる。 視力が低下する。 そんな感じで、私のマタニティライフの後半は、辛いものだった。「妊娠中のトラブル」と、簡単に済まされてしまうが、私にはこれを耐えられるだけの精神も肉体的耐性も持ち合わせていなかったため、本当に辛い日々だった。(娘よ、すまん。)