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島暮らしを振り返る① 島移住の経緯

つれづれなるままに、日暮らし、パソコンにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。


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そんな島暮らしも、まもなく終わる。

パスポート発行の目処が立ち、ややフライング気味だが、ビザの申請書類の作成にも着手している。
今の仕事は、12月中に引き継ぎが完了するように調整してくれている。
渡航の具体的な日程は決まっていないものの、あと1〜2ヶ月ほどで島を発つことになる。

約1年半の島暮らしは、特段に楽しいことはなかったが、辛いこともなかった。
ゆったりと流れる時間の中で自分自身を見つめ直すことができたし、必要最低限のモノしかない環境でもそれなりに幸せに暮らせることが分かった。
街の喧騒とは程遠い自然豊かな島で、穏やかで満ち足りた時間を過ごすことができた。
強烈な思い出が残るような1年半ではなかったが、これからのライフスタイルに多少なりとも影響を与えうる有意義な経験になったと思う。
まあ、すべてインドに上書きされてしまう可能性はある。

残り少ない時間の中で、気が向いたタイミングで島暮らしの総括的な記事を上げていこうと思っているが、今日は島に移住することになった経緯を書く。


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話は2020年4月までさかのぼる。
インドネシアから本帰国したぼくは、完全な無職だった。
3年間の社会人生活でそれなりの貯金ができており、それを元手に1年ほど世界一周の旅に出かけるつもりだった。

最初は様子見程度だったパンデミックが、当分は収まりそうにない雰囲気になり、日本国内に止まらざるを得ないことを理解すると、数年は安定して働ける仕事を探すことにした。
ただ、世界一周あるいは海外移住の夢は諦めていなかったので、正社員や正規教員になるつもりはなかった。

寒くて乾燥した日本の冬が嫌いなぼくは、日本の中でも温暖な場所、すなわち沖縄県に引っ越そうと考えた。
島暮らしにも興味があったので、離島と教育を掛け合わせて求人を検索したところ、最初は与那国島の公営塾がヒットした。
5月下旬に履歴書を送ったところ、すぐにオンライン面接が行われた。

面接の際、新居探しなど移住にまつわる双方の利害を照らし合わせた結果、赴任地として与那国島ではなく、A島が提案された。
その島の名前は初耳だったのだが、頭の中は島暮らしでいっぱいだったので、その提案を快諾した。躊躇は一切なかった。
そして、島の名前を初めて聞いた半月後には、小さな島での生活がスタートしていた。


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初めて島に上陸したのは、ちょうど沖縄で梅雨が明けた週だった。
皮膚にまとわりつくような湿気とアスファルトをじりじりと焦がす強い陽射しは、インドネシアの気怠い暑さを彷彿とさせた。
まだ6月だというのに、初夏の爽やかさは微塵もなかったが、南国の不快な蒸し暑さが肌に馴染んでいたぼくには、それがかえって心地よかった。

移住当初はスローライフを満喫していた。
島を隅々まで探検し、生温い海水を漂い、昼寝をして、読書に勤しんでも、時間が余った。
今でこそ島を徘徊することはなくなったが、時間が潤沢にあることは変わらない。
体感としては、1日30時間くらいある。非常に贅沢な話だ。

20代半ばにして、こんな環境に身を置いてしまっては、もはや社会復帰できる気がしない。


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島暮らしに至った経緯は以上になる。

で、「小さな島での暮らしって実際どうなの?」「プライバシーとかないんじゃないの?」「外から来た人は浮いたりしないの?」等々、気になっている人が大半だと思うので、気が向いたら次回はそのことについて書こうと思う。
ただし、全く気が向かない可能性もあるので、この「島暮らしを振り返る」シリーズも今回で終わってしまうかもしれない。

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