麻雀のギャンブル性から見える麻雀の魅力について力説する。

賭け麻雀が話題だ。麻雀の悪いイメージが世間に広がってしまって残念だ。
当然、麻雀=ギャンブルではないし、そういったイメージを払拭しようと努力している人たちはたくさんいる。
ぼくは麻雀が大好きだから、ゲームの面白さを力説して、麻雀の擁護をしたい。

そもそも、同じ頭脳ゲームである将棋や囲碁などにはあまりギャンブルのイメージはない。
賭け将棋や賭け囲碁をやっている人もいるとは思うが、健全な頭脳ゲームとしてのイメージの方が強い。
それは、もちろん将棋や囲碁を健全なゲームとして普及するのに関係者が努力したから、というのもあるのだろうけれど、将棋や囲碁と、麻雀とはゲームの基本的な性質が違うからだと思う。
麻雀は他の頭脳ゲームと比べて、運の要素が強い。

将棋や囲碁なんかは全ての情報がオープンになっているのに対して、麻雀の場合は一人のプレイヤーが得る情報に限りがある。

麻雀の卓上には伏せられている牌がたくさんあって、当然、プレイヤーはその牌が何かを正確に当てることはできない。また、他のプレイヤーの手牌も知ることができない。
他の人の捨て牌などから、どの牌で待つのが最も上がれる確率が高いかを考えながら、もしくはどの牌を捨てると危険なのかを見当たてながら、いろいろな選択をすることになる。

(運の要素とか、情報の非公開性とかでいえば、ポーカーも同じだ。そういうゲームはどうしてもギャンブルとの親和性が高くなってしまうらしい)

自分がいい選択だと思っていても、全ての情報がオープンにされたら最悪だったなんてことはよくある。自分が欲しい牌を誰かにごっそり持たれていた、みたいに。

嵌5筒待ちの追っかけリーチに、3面張待ちの先制リーチが負けるなんてこともある。嵌張に一発で振り込んでしまった時なんかは、本当にキレそうになる。
互いにリーチを打ち合って牌のめくり合いまで持ち込めば、その時の強運が圧倒的な確率の差を上回ることは、麻雀というゲームではありえることなのだ。まさに、人事を尽くして天命を待つ。

でも、そこが麻雀の魅力でもあるわけで。
そういう「理不尽さ」も含めて、麻雀というゲームの面白いところだ。

他の頭脳ゲームと比べて、麻雀は実力差をひっくり返すことが容易だ。
たとえば、将棋だと、初心者がプロ棋士を破ることは不可能だ。
でも、麻雀だとそれができる。ある程度のルールや牌効率の感覚を掴めば、プロを打ち負かすことができる。もちろん試行回数を重ねれば、上手い人の方が勝率は高いわけだけど、数回程度の勝負であれば意外な結果が出たりする。

麻雀は、運と実力のバランスが絶妙なゲームだと思う。
だから、みんな、麻雀やろ。

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