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注射嫌いを克服する方法


※錯乱した内容ですが、書いている当人は至って真剣です。


満を辞して、断腸の思いで、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、決死の念で、阿鼻叫喚の面持ちで、ワクチン接種を申し込んだ

ぼくは筋金入りの注射嫌いである。

確か小学校1年生の時だったと思うが、学校で注射をするという恐怖のイベントがあった。
同級生が保健室で番号順におとなしく並んでいる中、ぼくは学校中を逃げ回った挙句、「ぼくは注射を打たなくていい、とお母さんが言っていた」と大法螺を吹き、困り果てた担任がぼくの母親に連絡するといった迷惑な騒動があったらしい。
当時のことは全く覚えておらず、全て親から聞いた話である。
その後、なぜか、ハンコ注射という注射の親分みたいなものも強制的に打たされた。

実は、注射が嫌いな理由は、自分でもよくわからない。
痛いのが嫌なわけではない。
注射よりも痛いことは世の中にいくらでもある。
幼少期に注射にまつわるトラウマがあったわけではない。

自分では、「前世がヤク中だったから」という理由で納得させている。
転生の際に、神様が「もう薬は打っちゃダメだよ」という想いを込めて、ぼくを注射嫌いな人間にしたのだ。
非常に迷惑な神様だ。

自分の感情を冷静に分析すると、注射針が皮膚に刺さる「あの一瞬」が嫌いなようで、その一瞬が過ぎてしまえばケロっとしている。
薬が注入されている間や注射針が抜かれる瞬間は別になんとも思わない。

つまり「あの一瞬」を平常心で乗り越えてしまえば、ぼくの勝利が確定するわけで、今は決闘の日に備えて日夜イメージトレーニングや精神統一に取り組んでいる。

今日は、ぼくが注射を克服するために、考えている様々なことを紹介しようと思う。


①「今」はすでに過去である

「今」という瞬間はすぐに過去のものになる。
ぼくは「あの一瞬」が嫌いなわけだが、「あの一瞬」を認識したということは、それはすでに過去に起きた事象なのだ。
もう過去になってしまったということは、その時点でぼくの勝利なのである。

主観的な1年の長さは年齢に反比例する、というジャネーの法則に則って考えれば、一瞬を体感する長さはどんどん短くなっていっているはずだ。
子どもの時の記憶よりも、「あの一瞬」が過ぎ去るスピードは格段に短くなっており、大人になった今では余裕でやり過ごすことができるはずである。


②人間の感情は電気信号に過ぎない

注射針が皮膚に刺さるチクッという刺激やそれに付随して発生する嫌悪感が、注射嫌いの根源なのだが、それらの感覚はいずれも、感覚器官が受け取った刺激が電気信号で伝えられ、脳が処理した結果に過ぎない。
ただの電気信号ごときに、感情を揺さぶられるのは非常に愚かなことなのだ。
その揺さぶられている感情も電気信号に過ぎず……、と考えていると訳がわからなくなってくる。
ともかく、ぼくが嫌悪感を抱いているのではなく、電気信号によって嫌悪感を抱かされているのである。
このことを理解すれば何てことないし、もはや悟りを得たといっても過言ではない。
悟りを得てしまえば、注射なんか余裕なのだ。


③ぼくの体を構成する原子の隙間に注射針が入っているに過ぎない

人間の体は所詮、細かい粒の集まりである。
その隙間に注射針が入り込むというだけの話だ。
耳の穴に綿棒を突っ込むのと同じことだ。
何も怖くない。


④実は大したことがない

経験則だが、これだけいろいろなことを考えているくせに、「あの一瞬」は本当に大したことがない。
ぼくは注射の間、ギュッと硬く目をつぶって、太腿をつねったりして気を紛らわしているが、気づかないうちに終わっていることもある。
毎回、注射を打ち終わった後は、「なんやかんや大したことなかったな」と、したり顔で思っている。

コロナワクチンは2回接種しなければいけないというのが高いハードルになっているが、1ヶ月の間にこの「大したことがない」という感覚を残しておけば、2回目はあっさり受け入れられると思う。


⑤半年後の自分を想像する

離島に住んでいるので、最初のワクチンチャンスは今年の5月くらいに訪れていた。
打ちたくても打てない人が大勢いる中で、非常にありがたい話である。
が、注射嫌いなぼくは当然、役場から送られてきた案内通知を見てみぬフリをし、うっかり忘れていたフリをしてワクチン接種日を見送った。
そして「あ、ワクチン接種、昨日だったんだ!うっかり忘れてた!」と装っていた。

あの時、おとなしくワクチンを接種していたら、半年後の今はこのように思い悩んでいない。
しかし、「後悔先に立たず」ということで、昔のことを悔いてもしょうがないので、先のことを考えることにする。
半年後のぼくは輝かしいインドライフをエンジョイしているはず。
この明るい未来は、ワクチン接種によってもたらされるものだ。
今回、注射を受け入れることによって、半年後のハッピーライフが担保されるのである。
そう考えれば、注射なんか屁でもないのである。
全然、怖くないもん。






……と、ここまで読んできた人はおそらくこう思っているはずだ。

気にしすぎじゃん笑

気にしすぎるから、どんどん嫌になるんだよ。


ぐうの音もでない。

注射に対する1番の対処法は、気にしないことである。

自分でもそう思っている。
ぐちぐち考え込んでしまっている現状は、自分で自分にネガティブな暗示をかけてしまっている状態だ。

しかし、気にしないようにしようと思っていると、ますます気になってしまうものなのだ。



え、ちょっと待って。
ふと、ぼくは思った。

ここまで注射について気になるということは、もしかしたら注射に恋しているのかもしれない。

このドキドキは、恐怖のドキドキではなく、恋のドキドキなのだ。
接種日が来て欲しくないと心の底から思っているが、本当は待ち焦がれている気持ちの裏返しなのかもしれない。


そうだ、これは恋だ。

ということは、注射が嫌なわけがない。
むしろ楽しみなのだ。

よっしゃ、今回はこれで乗り切れるぞ。

かかってこい、注射。
かかってこい、金曜日。

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