これでいいのだ

ずっと自分が心から望み、欲しかったもの。
私の場合、それは安心感と自由さだった。

お金も社会的成功も和気藹々とした家族団欒やラブラブなパートナーシップも…そういったものがずっと欲しくて、でもなかなか思うように手に入れることができなくて、自分を責めたり誰かを羨んでみたり、うまくいっているように見える人達に嫉妬して、またそんな自分が嫌で悶々としてみたり…そんなことを繰り返していて、どこか苦しかった。

いつだったか、本当に自分が望んでいるのは、そういった外側の(物質的・現実的な)事象なのではなく(とはいっても、あったら嬉しいから望むけど!)、外側のなんだかんだに関係なく、安心して自分が自分で在れることなのだと気がついた。

そこで、ハテ、ではどうすればそう在れるのかな?と思い、そこからまた試行錯誤の日々。 やっぱり長年のクセに引っ張られて、つい外側に自分の安心や自由を求めてしまっては、うむむ・・・!?となったりしていた。
が、最近、「外的要因で気持ちを乱されてはいけない」という、強迫観念じみた謎の価値観が自分の中に出来上がっていたことに気がつき、アレ、おっかしいな~??と。
揺れてもブレてもいいんだよとか他人には言っているし、人間なんだからそれは別に自然なことなのに、なんじゃらほい、自分が自分にOKしていなかった…!
「心頭滅却すれば火もまた涼し」を通常モードにしようと、どこかで頑張ってしまっていて(使い方間違ってたと思う。)、感情が揺さぶられる自分、ダメ!をやってしまっていた。 アハ。
そして、揺れてもまた中心に戻れるから大丈夫、と、その観念を手放したところ、なんだか更に安心感が増して、安定収入のアテも社会的地位も家族も専属?パートナーもないのに、すっかりハッピーになってしまった。

見ようによっては、きっと、私のことは「能天気で非常識なバカ」にしか見えなくて、恐怖心すら湧いてしまうかと思う。 今迄親しくしていた人達も、多かれ少なかれ離れていくのかもしれない。
そうなることが恐かったし、そんな自分ではダメなんだと思い込んできたから、意識的・無意識的に周りに合わせようとつい頑張って、ずっと自分ではない誰かを演じて、自分を隠してきた。
けど、もういいのだ。
どうせ私は能天気で無茶苦茶なバカなのだ。
隠したところでモレていて、自分ではそんなつもりはないのに周囲の不安を煽ってしまったりしていた(と思っていた)けれど、そしてそれは自分に欠陥があるからなんだろうとばかり思っていたけれど。
賢くて優しそうな常識人ぶろうとするのも、デキた「わかってる」人ぶろうとする必要もない。 そんなことで苦しむのはもうヤメだ。
これでいーのだ。 てか、元々それでよかったのだ。

・・・というのが、ある時ふっと。 自分と合体したような感覚。
そしたらねぇ、なんかもうラクで仕方ない。
どっかにいっていたエネルギーが戻ってきて、充満している感じ。
箸が転がっただけでも笑えてしまいそうな、内から湧いてくる楽しさ。

自分がずっと求めていたのはこれで、そしてそれは、単に自分で受け取り拒否をしていただけで、本当はハナからずっとあったのだ。

おめでとう、自分。 労いと祝福を。
人生のミッションひとつ達成。 峰をひとつ踏破したような気分。
これから創り出す新しいストーリーにワクワクしている。






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