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普通?の生活へは戻れない!?

昨日は、天気も心も大荒れだった。
夏越の大祓を前に、結構なデトックスが起こっている、のかな??

数日前に、黄体ホルモンを飲み忘れたこともあり、睡眠の質がガタ落ち…木曜日の夜も、横になっている時間は7時間ほど確保したものの、実質睡眠は4時間くらいになってしまった。
金曜は早朝から出勤。雨で湿度も高く、不快指数MAX。
出勤してみると、仕事の相方が急な欠勤。これ、最近結構頻繁だ😂
こんな時にピンチヒッターが見つかることもあるが今回は見つからなかったようだ。もともとライトな勤務でもあり、自分が元気なら「あ〜じゃあ巻きでやりますね〜」とデキた対応もするのだが、昨日は体調が最悪だったので「もともと6割くらいの状況…頑張ってやっと普段通りのことしかできませ〜ん」と、本当は言いたかった。
まあいいや、普段のペースでやろ。となんとか自分をなだめつつ…内心イライラ💢した。
休みがちなそのひとも、私と同様非常勤だが、昨年?うつの診断で休職されたと話されていた。また調子を落としているのかもしれない。
しかし、こちらもカバーするだけの余裕はない。。。なんか昔からこういうパターンだな。

そして昨日は産業カウンセラー養成講座の山場である課題の提出日。少し余裕を持って進めていたはずが…書いても書いてもイマイチな気がして、色々と直していたらまだ提出できる状態になっていなかった。体調が悪いのにPCを持参して出勤し、長めの昼休みにチマチマと修正をしたものの、あまり進まず。

帰宅中の電車の中も大混雑。ホームも人で溢れかえっていた。。湿気も相まって、頭痛もしてきた😂
本来ならさっさと入浴して寝たい状況なのに、提出課題に再度向き合うことにした。あまりにイライラして、家族に当たり散らしてしまうので…同じ受講生が作ってくれたLINEグループにちょっと愚痴らせてもらった😂
ちょっと冷静になって、しゃーないやるか、という感じにはなった。

受講は自分で決めたはずのことなのに、今回はとっても億劫だった。提出課題は評価対象になるものでもあり、また前回の課題で自分の好きなように書いて提出したら思いのほか辛口の評価をもらってしまったことが頭にあり、自己批判的な視点での振り返りが多くなっていた。
なんだか自分がどこかにいってしまうようだ…と心が荒んでくる感覚があった。

日付が変わる1時間前に、3つの提出物をやっと提出。
そのうち2つは6割くらい、一番時間をかけたもので7−8割くらい、自分として考えて表現したつもり。。。キリがないので時間で区切ることにした。

普段はとても起きていられない時刻までPCで作業をしたため、当然すぐには寝付けない。自律神経がバランスを失っている。
それでも1時間経たずに入眠はしたと思う。。

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今日の朝はゆっくりできる日。なのに、また夜明けとともに覚醒。しばらくぐだぐだして…(この、朝のぐだぐだが結構幸せ)久しぶりに“あさんぽ“へ。


去年、ささくれた心を抱えたまま何度も歩いた散歩道。
去年と同じように…みずみずしい草木の葉、ぐんぐん伸びていく若い枝、可憐なお花たちが迎えてくれた。
この“繁茂する感じ”が好き。

歩きながら振り返る。。。

締切ギリギリまで提出物が終わらなかったのは久しぶりだな。
(まあ、論文とか抄録とかは、納得のいく文章になるまで、締切ギリギリまで“てにおは“レベルまで直して直して…の人ではあったが)

体調が最悪な中、明らかに身体は休息を欲しているものの、締切という枠組みに合わせようと無理やり対応することへのストレスをこれほどまでに感じるのか、と自分で驚いた😂


長いこと公務員の立場で、出産・育児と両立しつつ、育休も最低限(産後4ヶ月で復帰)で、ひとり親としても、管理職としても一人前以上の頑張りを自分に課していた…
「社会人としてはこれが普通」
「役に立たないと居場所がない」
「やって当たり前」
「仕事ができる自分であり続ける」
「なんでもできる上司として認められる」
自分に対して厳しすぎる一方で、後輩の支援は親身に関わった。後輩の特性を考慮したり、働き方の相談に乗ったり。

それが、親のガン、認知症などが続いて仕事に注ぐエネルギーを分散せざるを得なくなった時、ガラガラといろんなものが崩れていった…
自分が当たり前だと思っていたことが、当たり前にできなくなった。
もう無理だ、これは続けられないと何度も感じて、仕事を変え、考え方を見直し、でもまた新しい居場所で自分を大切にできない考えが自分を苦しめていた。
そして、ブレーキ。

やめる直前の職場では「仕事を任せられない」と、人生初めての評価を受けた。
「この仕事は向いてないよね〜」とも言われた。(今覚えば、かなりの暴言😓)
常に優等生で生きてきた自分としては、ボロボロすぎて地に落ちた感じだった。
一方で、一旦休みたい、休んでもいいよね、と思った。自分からそのことを申し出た。
人生の夏休みは…正直なところ楽しかった。
新しい人との出会いもあった。

なんでもデキる自分、というキャラを貫くのはやめたい、と思った。

自己否定が強いから、できないところ・弱い自分を隠したいから、バレないようにバレないように…認められることで居場所を確保したくて、先回りして努力して…を繰り返していた。
何が長所なのか、仮面とそれの区別がつかなくなって、全てにおいて平均点以上(しかも以前は満点狙い💦)を取ろうとした。
でも、小さい自分は「そんなの無理」と叫んでいた。。。

まあ、できない自分を演じる必要もないが、実際は結構ポンコツなところもある、と今はわかっている。
自分のチカラを自然に出せるような、そんなあり方でいたい。
簡単なことではないのだろうけど。。

フリーターみたいな働き方から再開してみた。ひとつひとつの仕事は小さいけれど、みんなそれぞれの持ち場で頑張っていると感じて…なんだか嬉しかった。自分の持っているものを、義務はないのについ出していて、喜ばれることもあった。
ひとつひとつ、仕事が増えるたびに、あれもやってみようかな、これを勉強してみようかな、と前向きな感覚も出てきた。

そんな"自分を生きる喜び"を感じて生きる、というのが年始に立てた道標だった。

しかし…仕事が増えてきたり、学ぶ過程でその道のプロの発言を聞いたりしていくうちに…
「こうした方がいい」→「こうすべき」、「普通、〇〇はできるのが当然」みたいな価値観に再度触れる機会も増えてきた。
そこでまた、勝手に疲れたり落ち込んだりしていた。

そもそも、普通、ってなんだろな。。
それが曖昧になってきた時代、のはず。だけど。

なーんて、過去にはそれを言ってる側にいたこともあったけどね。

現実的には、今まで「普通」「当たり前」だった通常勤務の時間軸で動くことすら、まだまだ厳しいと感じている。
というか、このまま自分のペースで生活していきたいかも。と本気で考え始めている…

私の場合、色々と過剰適応だったみたいだ、と今は思っている💦

思いの外、長い振り返りになってしまった💦
さて、課題があったせいで提出が遅れている業務の書類を作るとしよう。
その後、オンラインで新しい仕事の打ち合わせもある。
浴室の修理も。