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外出自粛で、子供は何を考えるのか

 コロナの感染拡大防止策の渦中で、私の業務形態に在宅ワークが入り、休校期間で家にいる子供たちと過ごすことが多くなった。

 長い休校期間で、当初心配したのは、子供達のデジタル機器依存であった。しかし、長いゆるやかな時間の中で、子供たちに思いも寄らない変化が見られた。

■”デジタルを聴く”から、”自分で弾いてみる”へ

 一番変化があったのが、中学生の長男である。このところ、背が伸びて、思春期に入った長男の反抗的な態度には、私も家内も悩みどころであった。

 しかし、長い時間の中で、Youtubeでたくさんの音楽を聴いている内に、あるアニメのバックミュージックの美しいピアノ演奏に魅了され、「自分で弾いてみたい!」という欲求が出てきたのだ。それから、初心者の彼は、楽譜の音符一つ一つにド、レ、ソというように譜読みをしていったが、猛練習をするには、有り余るほどの時間がある。
写真は、ベートーベンの月光である。

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 10代の集中力とは驚くべき物で、ほっておくと何時間でも練習している。友達ともなかなか会えない、膨大な時間の中で、自分の好きなことにひたすら打ち込むことができるのは、とても幸せなことではないかと思った。
 「お父さん、指使いはどうしたらいいの?」
 私のピアノ歴が長いため、時折、指使いや細かな技術的なことについての質問をたびたびされることがあり、自分の部屋に閉じこもることが多くなっが息子と会話のキャッチボールができるようになり、私の心は、ポッと明かりが灯ったような気持ちになった。
 人間とは、創られた音楽を聴いているだけでは満足できず、自分で音楽を演奏してみたいというアナログの欲求が出てくるのではないかと思った瞬間だった。そのような欲求は、静かな長い時間の中から出てきたのだ。

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  一ヶ月半がたったころ、息子が両手でさらさらと弾けるようになり、仕事から帰宅した家内は、私が弾いていたのかと驚いていた。

■自然とふれあいたいという気持ち

 わが家は、八ヶ岳南麓の標高1000メートルにあるため、来冬のためにストーブ用の薪を春先に準備する。薪割りは私の仕事だったが、3月の初旬のある日、
「お父さん、俺、薪割りやっていいかな。」
と長男から話しかけられた。どうやら、休校続きで身体がなまって、身体を思いっきり動かしたいらしい。これはチャンスということで、すでに長さ35センチの丸太を1本割ると、40円のおこづかいということで契約が成立した。つまり、40円を5セットで200円になるのだ。
 その報酬で、彼は、ライトノベルという小説を購入している。
 かつてはゲームソフトにお金をかけていた長男、最近は、小説を読みながら、わからない語句は、辞書を引き、その意味を大学ノートに忘れないように書き留めているらしい。「自分の意思ではじめる。これこそが、真の勉強だ。」と思い、あまり勉強が好きでない彼が、本当の意味で勉強をはじめたのでは、と嬉しくなった。

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 固い丸太、節のある丸太、すべての丸太が同じようなには切れず、工夫して割らないと、なかなか進まない作業であるが、手にマメをつくりながら、
夢中になって丸太と向き合っていた。すごい集中力である。
 息子の作業中の後ろ姿を見て、「たくましくなったな」と少しうれしくも思う。この自粛期間に、すっかり薪割りが彼の体力づくりに貢献している。
 この一ヶ月、ウッドデッキに積み上がった薪のほとんどは、長男の手作業により割られたものだ。これには本当に驚いた。

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 薪割りの後、息子が、ぼーっと庭に飛んでくる鳥を眺めている。
「あの鳥の名前は?」と聞いてくるので、「セキレイだよ」と教えてあげると、息子が一言
 「あいつかわいいよね。近くに来てくれないかな。」
 米を持ってきて庭にまいては、ずっとセキレイをはじめ、飛んでくる鳥たちをぼーっと眺めている。やれ勉強だ、部活だと日々の予定をこなしているうちは、こんな時間は持てなかったであろう。そして、なんとなく、息子の反抗的な態度がおだやかになって気もするのである。

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「そうだ、バードコールを作ろう。」
 息子と一緒に、クルミの木の枝に丸カンネジを差し込んで、クルクル回すと、キィーと鳥の鳴き声にも似た音が。しばしの間、二人で無言のまま、夢中になって鳥に来てもらおうとネジを回した。
 薪割り、鳥の観察、庭での息子の興味はつきない。
 人間はやはり、人工的なものだけでは満足できず、根源的に求めるものは、自然の中にあるのではないか。
 基礎的なことを学ぶ学校教育は、社会の一員として働くのには必要な能力を養ってくれるのであろう。しかし、それ以外に、人として生きていくのに”自然”とのつながりを感じる経験は、自分も自然の一員である、同じ生命ある仲間であること教えてくれ、自然を敬う気持ちになるのではないか。
 そのような経験の積み重ねが、現代の私たちに必要な自然環境に配慮した生活になっているくのではないかと思う。
 そのためには、庭の草木や鳥や虫を眺めることができる、静かに流れる時間が必要ではないか。多々ある学校行事や部活動のあり方などを、これを機に見直し、子供が自主的に自然と関わり合う環境に中に身を置くことが大切なのではないかと思う。
 私たち家族は、7年前に東京から八ヶ岳南麓に移住したが、あらためて、
自然の中で生活できることをありがたく感じている。

■ゆったりとした時間が与えてくれること

 親と離れて暮らす長女からは、日々、電話が入ってくる。
大学の部活動は3密になるため休止、授業はオンラインのため、アパートで3食、自炊をしているとのこと。
 高校生の頃は、勉強と部活動で夜半まで全力投球し、帰宅後は山のような宿題に追われ、修行僧のような日々を過ごしていた長女。
 その長女が「今日の夕食は、オムライス作ったよ!」「今日は、うどんにネギとにんじんを刻んでいれて食べた。」「豆腐がたくさんあるんだけど何作ったらいい?」と電話をしてくる。
 彼女は、生まれて初めてのゆったりとした時間を、食事がつくることができて幸せだと言っていた。
 高校生の次女も、家族のご飯を作ってくれたり、台所の片付けをよくしてくれるようになった。共働きの私たち夫婦が、朝に晩に家事を分担してやっているところ、「今日は私が食器洗っておくよ。」「今日は、私がおやつを作ったよ。」と家族が喜ぶことをしてくれる。次女作の、国産レモンで作ったタルトは、絶品であった。 

画像7 時間があると子供は怠惰になるのではないか。何かをやらせないといけないと、親は習い事をさせたり、スポーツをさせたり、いろいろと子供の教育に気を回す。しかし、時には、何もしない時間が必要なのではないか、その何もない時間の中で、子供が自ら興味を持つことを見つけ出すこと。それを親は、そっと見守り手助けをすることが必要なのではないかと思った。
 これが、この在宅期間での10代半ばの思春期の子供を持つ親の立場からの私の感想である。

 コロナの影響で、いまだ苦しんでおられる方、そして、金銭的に困窮している人もおられ、心が痛む。そういう方々に平安が訪れるよう祈りつつ、
未来ある子供たちの教育を、実りあるものにしたいと思う、今日この頃である。 




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