友達がいないと困ること
前回、「友達がいないってサイコー」について、ヒャッハー状態で書いた。
しかし、よく考えると友達がいないことで困ることもある。
私は20代前半からほとんどひとりで過ごしてきた。そんな私が「友達がいないと困ること」について書きます。
話がヘタになる
私は半年間のニート生活を経て、復職したのだが(非正規だけど)、この前職場の人と話をしたら、驚くほど話せなかった。
なにを話したらいいのやら、わからん。
声をかけるのも「あ、あ、あの、ちょ、ちょっと、す、すみません」みたいなことになったのには自分でもビックリした。元営業マンやぞオレ。
これは友達がいない弊害、というよりかはニートになった弊害かも。
ニート期間中でも友達と会って話しておけば、こんな挙動不審者にはならなかったと思われる。
他人との適切な距離感がわからなくなる
私は前から「長期的な関係を築くのが苦手」だった。
その場限りの人とはいくらでも仲良くできるのだが(裏なんばのサラリーマン、日雇い派遣で出会ったオッサンなど)、職場の人とか、連絡先を交換した人とかには途端に仲良くする気が失せてしまう。
「遊びに誘われないだろうか」「飲みに誘われないだろうか」
とか思ってしまい、一歩どころか百歩くらい距離を置きたくなるのだ。
距離をつめてくる人が恐くて仕方ない。これも長い間、ひとりで過ごしてきた弊害だろう。
他人といる時間=無駄 と思ってしまう
「誰かと一緒にいてもなぁ。面白くないし、疲れるし、余計な価値観押し付けられるだけやし」
ひとりで過ごすのが長くなりすぎると、こういうことになる。
他人と一緒にいる時間が苦痛で仕方ない。
一年ほど前、小学生からの友達と久しぶりに遊んだのだが、「早く帰りてえ……」とずっと思っていた。
たいして面白くない昔話、最近のテレビの話、友達の恋の話……
なにひとつ興味がない。
ということで、途中で「しんどい」と言って帰ったとさ。
「我が道をゆく」になる。いい意味でも悪い意味でも
私は31歳で非正規で、スキルもなければ、ほとんど恋愛経験もない。
普通の感覚からすれば「ヤバい人生」だろう。
でも私はなんとも思っていない。むしろ「人生、上向いてきてるぜ」と思っている。
家を出るのは9時ちょっと前、帰宅は17時頃。残業なし、土日祝は確実に休み。
前は年間310日以上働いていたこともあったし、帰宅が23時まわることもしょっちゅうだった。それを思えば今はすごく楽。
ごはんをゆっくり食べて、風呂にゆっくり浸かって、本読んで、映画を観る。こんな毎日。
外食しないし、酒も飲まないし(家では飲む)、友達と遊ばないし、服も二年くらい買ってないし、SNSもしないし(note以外)、保険にも入ってないし、本も図書館で借りればいいし(欲しい本は躊躇せず買う)、映画だってアマゾンプライムで事足りる。
こんな生活ができるのも「友達がいない」から。世間からすれば「そこそこの給料の優良企業勤めから墜ちてしまったダメな人生」という認識だろうがけど。
友達がいれば確実に私は「オレの人生ってダメだ……」と死にたくなっているところだ。
私が世間とズレているのはこれだけじゃないが、友達がいると確実に”ズレ”を修正されていたと思う。
「男は正社員で働かないといけない」「将来どうすんの?」「男は成長してナンボだ」「コミュ力を磨かないと」「資格を取らないと」「保険に入らないと」「結婚どうすんの?」
知るか。そんなこと。
私はこれらの考えは完全に「資本主義に飲まれている」としか思えないのだが、こんなこと言ったらまた批判される。変なヤツだと思われる。別にいいけど。
友達がいない状態が長く続くと、良くも悪くも「我が道を行ってしまう」のである。
遊園地とか行きたいけど、ひとりじゃさすがに行けない
私はひとりでどこでも行けるが、遊園地だけは行けない。
クリスマスイブにひとりでUSJに行って、とっても辛かったからだ。
遊園地行きたいなぁ。その日だけ一緒に行ってくれる人いないかなぁ。
あと女の子が入るオシャレなスイーツ店とかもひとりじゃ入りにくいから、一緒に行ってくれる女の子いないかなぁ。いないよなぁ。困るなぁ。
騒いでいる人がたまに羨ましくなる
「ひとりサイコー、ヒャッハー」状態で、友達がいないことを全肯定している私でも、たまに他人が大人数で騒いでるのを見かけると羨ましくなる。
これは一体何なのだろう。ひとり最高ではないのか?
ここで「私も友達を作らねば」と思えばいいのだが、「ちくしょう、もっとひとりを極めてやる」となってしまうのが、私のひねくれているところ。
私はこのままひとりで淋しく死んでいくのだろう。
そんな人生も、良きかな。
働きたくないんです。