文字は人を表さない
「文字は人を表す」
とか、言われる。
ホンマかいな。
私は26歳のときに「営業マンになるためのセミナー」みたいなのに通ったことがある。
そこで「履歴書の書き方」をしつこいぐらいに学んだ。
「手書きで書きましょう」
「修正ペンは使ってはいけません」
「証明写真は定規とカッターで綺麗に切りましょう」
「最後の『貴社規定に従います』のあとは『。』はつけてはいけません」
意味があるんだか、ないんだか、ようわからんルールがたくさんあったが、その中でも講師が強調していたことが、
「心を込めること」
であった。
書いた履歴書は講師に提出。OKなら帰宅。
私は字が汚いので、時間をかけて丁寧に書いた。充分、心は込めたつもりだ。
一方、字が綺麗な隣の女子は適当に15分くらいで仕上げていた。しかし、そんなに早く提出してしまうと、「丁寧に書いたのか」と疑われてしまうので、ちょっとだけスマホで時間を潰し、講師室に向かっていった。
この女子は策士なのである。皆からの評判も良くなかった。人によって露骨に態度を変え、上のものやイケメンにはすり寄り、私みたいな冴えない人間にはゴミを見るかのような視線を浴びせる。恐ろしや。
ニコニコして帰ってきた彼女はカバンを持ち「お先に失礼します」と言って帰っていった。一発でOKが出たのだ。
「あの子めっちゃ適当に書いてたけどなあ……性格悪いし」私は不満に思いつつも、履歴書を書き上げ、講師に提出。書き始めて1時間くらい経っていた。
講師はその履歴書を一瞥し、突き返した。「心がこもってない。やり直し」と冷たく言い放って。
全力で丁寧に書いた履歴書、チラリと見ただけでボツである。ショックだった。
皆、OKをもらい、次々と帰宅していく。残っているのは私ひとりだ。
焦りからか、つまらないミスをし、何度も書き直した。でも、丁寧に書いた。
何度もやり直しをくらい、書き直し。そして書きあがった履歴書はどれも同じに見える。だってどれも全力で書いたんだから違いはそう出ないだろう。
すでに夜の9時を過ぎていた。そして何度目かの履歴書を講師に提出した。すると講師は「心がこもってるね。お疲れさん」とOKを出してくれた。
・字の綺麗な人が適当に書いた履歴書。
・字の汚い私が丁寧に書いた履歴書。
どっちに心がこもっているかと問われれば、圧倒的に後者だろう。
・適当に仕上げ、スマホで時間を潰す人。
・一生懸命に取り組む人。
どっちの人柄が良いかと問われれば、やっぱり後者だろう。
なのに、私は何度もやり直しを食らい、彼女は一発OK。
いい加減なものである。
私は思った。「結局、見た目の問題じゃないの?」と。
綺麗で見栄えがいいなら、心がどうとか丁寧に書いてるとか、関係ない。
見た目だ。人間も、文字も、履歴書も、見・た・目。
皆、書類選考に通りたいならスポーツなどやめて書道をしよう。書道を。
その女子は性格は悪いが、別嬪さんだったから、あの感じのまま就職してもうまくやっていけるのだろう。なんとも世知辛い世の中だ。
そのことを悟った私。その後の就職活動では、目一杯綺麗に仕上げてやろうと思い、エクセルで履歴書を作った。制作時間10分である。
パソコンで作るのが一番見やすいし、書き直さなくて済むし、時間だってかからないし、金もかからない上に数もこなせる。企業ごとにプリントアウトするだけ。そもそも「手書きじゃないからダメ」なんて頭の固い企業なんてこっちから願い下げだ。
その履歴書を企業に提出。結構な確率で書類選考は通った。
あの苦労は一体……
字が綺麗だけど、性格が悪いヤツはいる。
字が汚いけど、性格が良いヤツもいる。
字が綺麗で、性格も良いヤツがいる。
字が汚く、性格が悪いヤツもいる。
書道の先生をやってる寺の坊さんに理不尽な因縁をつけられたことが何度もある。
今の職場の先輩は学もなく、漢字もロクに書けず、字もミミズみたいだが、すごく思いやりがあって、すべての人に優しい。
結論を出すと「字で人柄などわかりようもない」ということである。
面接官と言えど、普段は普通の会社員。大企業の人事担当ならともかく、普通の会社員は字の専門家でもなんでもない。毎日居酒屋でくだを巻いてるサラリーマンが履歴書を前にしたときのみ、なぜか字のプロフェッショナルぶる。
そんな人が手書きの履歴書を見ながら、「この人は出来る、出来ない」を論じるなんてことはおままごとにしか思えない。ただの「社会人ごっこ」である。
あまりに汚い履歴書はダメだが、普通に書けてたら中身で判断すればいいんじゃないの? と思う。
「字は人を表す」
私はまったく信じていない。
働きたくないんです。