The opposite of love is not hate, it's indifference.
2024年6月23日、テレ朝newsでは「兵士になった人気モデル」というタイトルで、ミャンマーの若者たちでは知らない人がいないと言われるほどのインフルエンサーであった25歳の可憐な女性が、市民を攻撃する国軍に抵抗するため、戦闘訓練を受けている、というニュースが取り上げられていた。
https://news.tv-asahi.co.jp/news.../articles/900004624.html
同じ日に、私は、二つの映画、ミャンマーのドキュメンタリー「夜明けへの道」と、アウシュビッツ強制収容所の隣で生活する家族を描いた「関心領域」を観てきた。
「夜明けへの道」は、ミャンマーで成功した俳優、監督であったコパウ氏が、地位を捨て、家族と別れ、民主主義と平和の奪回のために行動し、逃亡生活を送りながら、信念とメッセージを込めて撮影したドキュメンタリー。
離れて暮らす幼い子どもの口からは「大きくなったら兵士になって、軍の司令官を倒したい」という言葉が聞かれる。
私は、2021年に有志とミャンマー支援のための小さなプロジェクトを立ち上げ、ミャンマーの僧院が経営する小さな孤児院を支援している。
2023年の秋、カウンターパートが現地を訪れて孤児たちと交流し、彼らに将来の夢を尋ねた際、「兵士」と答える子がたくさんいたことを、そのシーンを観ながら思い出していた。
「関心領域」を観たあと、いまミャンマーや、シリアや、世界のたくさんの地域で起こっていることは、ナチスドイツによるユダヤ人迫害と同じだ、と改めて感じた。圧倒的な人権侵害、人道危機。
「関心領域」は難解な作品とも言われているが、視聴後の15歳の次女の言葉が、全てではないか、とも思う。
「関心を持つって大事なことだね」
コパウ監督は、世界を穴の開いた鍋に例えた。
一生懸命に水を注いでいるが、次々と水が漏れる。
穴があることを非難しあっても、誰も幸せになれない。
自分の親指でもいいから、一つでも穴を一緒にふさいで行こう。
たまった水は、自分たちの生きるための水になる。
私たちのミャンマー支援のプロジェクトは、途上国/国際協力に特化したNPOメディアであるganasが、「行動するメディア」をいう理念を実践するため活動の一つである。
6月20日「世界難民の日」に、ganasの長光編集長が自らの活動の原点について note に書かれていたので、一部を紹介したい。
-人にはそれぞれ「どうしたって抗えない運命」があると思うのです。具体的に言うと、生まれた場所(国、街、村、家庭)、家族、周りの環境、健康、しがらみ、価値観、性格‥‥。さまざまな事情を抱える難民もそうしたひとり。僕も含め、重たい運命を背負ったことのない大半の日本人にとっては、遠巻きに眺めるだけでは「他人事」なのでよくわかりません。近づいて初めて、彼らの状況や心情などが少しずつ少しずつわかってくるのです。なのに、さして理解もせずに、表面だけをとらえて批判するのは無知すぎないか、建設的なのか、と考えてしまいます。(中略)
批判しあったところで誰も幸せになりません。ならば相手にやさしくなったほうがいい。小さくてもいいから何ができるかを考えて、それを実行していく。そのほうが社会も良くなるし、また行動することで自らも人間としての深み(?)が出てくるかなとも思います。
(全文はこちらから https://note.com/devmedia_ganas/n/n51efa9d7bbfa...)
世界中の子どもたちが「兵士になりたい」と思わなくてよい世界。いつの日か、実現できるのだろうか。批判しあっても幸せにはなれない。
自分にできることが、たとえほんのわずかなことであっても、行動することで、変えることができると信じたい。
Elie Wieselは、ホロコーストから生還したハンガリー出身のユダヤ人作家で、1986年にノーベル平和賞を受賞した。その言葉の重さを改めて感じる。
The opposite of love is not hate, it's indifference. The opposite of art is not ugliness, it's indifference. The opposite of faith is not heresy, it's indifference. And the opposite of life is not death, it's indifference.
Take sides. Neutrality helps the oppressor, never the victim. Silence encourages the tormentor, never the tormented.
愛の反対は憎しみではない、無関心だ。
芸術の反対は醜さではない、無関心だ。
信仰の反対は異端ではない、無関心だ。
そして、命の反対は死ではなく、無関心だ。
立場を表明しなさい。
中立は抑圧者を助け、決して被害者を助けない。
沈黙は加害者を励まし、決して被害者を励ますことはない。
インフルエンサーの25歳のミャンマーの女性も、コパウ監督も、
「無関心」である生き方を辞めた。
私たちは、どちらの立場をとるべきなのか。
答えは、15歳の少女にも、自明である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?