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親孝行

私は、あまり後悔をしない質だ。
しかし、1つだけ人生で後悔していることがある。
それは、親孝行を全くしなかったことだ。

父は、私が中学3年の時に癌で他界した。
私に親孝行をするという考えが芽生える前に、父は他界してしまった。

当時、私の家の家族構成は、祖父母、両親、姉2人、私の7人家族だった。

父は、登山が好きな人だった。
私は、小学3年生の時から毎年1度は父と一緒に登山に行っていた。
父が癌に冒されていることが判明する中学2年の時まで。

父は、休みの日でも常に家のことや仕事をしている人だった。
そのため、私には父が家の中でゆっくりしている姿を見た記憶がない。


そんな父が、癌に冒された後、みるみる弱っていった。
抗がん剤治療の影響だったのだろう。
ただ、当時の私には、抗がん剤治療のことがはっきりと理解できず、日に日に父が弱っていくことだけが理解できた。

私は、入院している父に会いに病院へ行くのが本当に辛かった。
なぜなら、弱っていく父の姿を目にしなければならなかったからだ。
私は、「あの強かった父がこんなにも弱ってしまうのか」と思ったことを鮮明に覚えている。

父が亡くなり、私が父の荷物の整理をしていた際、父から私宛の手紙を見つけた。
本当は、亡くなる前に、私に渡す予定のものだったのだろう。

手紙には、
「kokiの奥さんになる人はどんな人かな」
「一緒にお酒を飲める日がくるのが楽しみだ」
などといった内容が書かれていた。

父は死ぬことは一切考えておらず、癌を克服して私と一緒に迎える未来に胸を馳せていたのだ。

私は、その手紙を読み、「父はまだまだ生き続けようとしていたんだ」と思い、胸が熱くなった。
そして、泣いた。

父が亡くなり、働き手がなくなったため、母は家族のためこれまで以上に働いた。
さらに、高齢の祖父母の介護も重なり、母の負担は増すばかりだった。
気が休まる時など、一時もなかっただろう。

私は、高校に入学し、反抗期真っ只中、本当に子どもだった。
母の手助けになるようなことは、一切しなかった。
父が亡くなったことに悲観し、「自分はなんて不幸なんだ」と甘ったれた考えで過ごしていた。

私は、高校を卒業したら就職して家を出たい、とずっと思っていた。
なぜなら、家にいると悲観的になり、自分がダメになってしまうと思っていたからだ。
この考えも今となっては甘えだった。

そのため、私は高校を卒業後すぐに就職した。

就職した会社は、社宅があったのでお金をかけず、すぐに家を出ることができた。
就職後、私は、家を出て生活できること、自分の働きで得たお金を使えることの喜びで、心が満たされていた。

就職後、私は、徐々に実家に帰ることが少なくなっていた。
就職した始めのころは、GW、お盆、正月の時などで帰れる時は帰っていた。
しかし、数年も経つと実家に帰ることがほとんどなくなった。



私は、その間に妻と出会った。
当時は、彼女ということになる。
私は、彼女と付き合い、接していく中で、人を大切にすることを学んだ。

そして、私は父に対して親孝行をできなかったこと。
さらには、まだ母に、感謝の気持ちをしっかり伝えたことがないことに気づいた。

私は、「彼女と結婚する前に旅行をプレゼントして、母に感謝の気持ちを伝えるか」と考えたものの、すぐには行動に移さなかった。

なぜなら、母はまだまだ生きていると思っていたからだ。

それからしばらく経ち、私が26歳になった夏。
姉からメッセージが届いた。

「お母さん、癌になった」
「発見が遅くて、もうステージ4、余命も2ヶ月って言われた…」
「今、入院してるんだけどいつ来れる?お母さん口には出さないけど、kokiに会いたがってるよ」
と。

私は、正直嘘だと思った。
「嘘ならいいのにな」と思った。

私は、姉から連絡をもらった次の休みに、病院に向かった。
病室に入ると、以前会った時より随分と痩せた母がベッドに座っていた。


その母の姿は、弱っていった父の姿と重なった。
私は、ここで母が癌になった事実を現実として受け入れた。

母は、私に
「久しぶり。元気にやってたの?」
と聞いてきた。

よくよく考えたら私が母に会うのは1年振りくらいだった。
私は、「うん、まぁ。」と歯切れの悪い返事をするだけで精一杯だった。
激しく動揺してしまい、まともに会話することもできず、私はすぐに病室を後にした。

私は、病室を後にする前に「今付き合ってる彼女がいて、結婚する予定だから、近い内に一緒にお見舞いにくる」とだけ母に伝えて帰った。

その後、彼女と一緒にお見舞いに行った。
その後、母の体調も優れてきたということもあり、両家の顔合わせをすることになった。
この時期は、余命2ヶ月と宣告をされた日から、5ヶ月が経っていた。

顔合わせ当日、母を迎えに行き、顔合わせをした。
この日の母も、体調が良いように見えた。
そして、母が体調を崩すことなく顔合わせを終えた。

その10日後
母は、息を引き取った…

まだ私は、母に、はっきりとありがとうと言っていなかった。
私は、この期に及んで「母は体調が良くなりつつある、亡くなったりはしない大丈夫だろう。」
と根拠のない考えを持ち、母に素直になれないままだった。

母は、体調が良くなりつつあったわけではない。
私と会う時は、体調が良く見える様に振舞ってくれていたのだ。
そんなことにも気づけない自分が恥ずかしかった。

私は、父を失った時に、大切な人を失うことの苦しさ、辛さを知ったはずなのに、母を大切にすることができなかった。
知っただけで、理解してはいなかったのだ。
本当に自分が情けなかった。
両親を亡くして、ようやく理解したのだ。

私は、火葬場で母が出棺する時に
「ありがとう」
と言った。
しかし、返事が戻ってくるわけはなかった。
あまりにも遅い感謝だった。


人によっては、普通に親孝行をされてる方もいると思う。
ただ、この文を読んで「親孝行をしてないかも」と思われる方は、すぐに行動に移してみて欲しい。

「親孝行したいときに親はなし」

その通りにならないためにも。




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