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「勘違いおばさん」という未来の自分に呪いをかける言葉について考えた

わたしは自分の行動に制限をかけるような言葉はあまり使いたく無い。

最近経験したのが「勘違いおばさん」で、女性である自分の可能性をぐっと狭める感じがしてなんだか嫌な気持ちになった。

「勘違い」の定義は人によって様々あると思うけど、空気が読めていないとか身の丈に合っていないとかそういうニュアンスを含んでるんじゃ無いかと思う。

ただこの「勘違い」に「おばさん」が合わさると一気に女性ならでは?というか、少し男性の目を気にした要素が加わってくるなと感じている。
(例えば「いい歳してミニスカート穿いてる」とか、「若作り過ぎるメイクをしている」など)

何故なら、"ザ・大阪のおばちゃん"のような
「空気読む?なにそれ?身の丈なんて自分で作れ!」と言わんばかりの派手な格好をした女性に対してはあまりこの言葉を使わないからだ。

つまり女性が女性に対して、マウントを取りたい気持ちが内包されているような…気がしている!

この呪いを解き、早く「ザ・大阪のおばちゃん」になりたいわたしが考えたことをまとめてみたから、みんな読んで感想聞かせてや!

客観視できている人は行動している人

「勘違いおばさん」の「勘違い」が意味することは要するに、周囲の大多数の人との感覚の差?のことをなのかなと思う。

その周囲の大多数の人の目を気にしすぎて、自分のしたいことができないと感じている人が、嫉妬心を隠しながら攻撃する言葉として使ってる場合がありわたしはそれにモヤモヤしている。

自分のやりたいことをやる為には、自分がどう見えているのかという他人からの見え方を知って、それを受け入れバランスをとっていく作業が必要であり、客観視のうまい人(できてる人?)は、そういう行動をしている人なんじゃないかと思う。

その上でどうバランスを取るかはその人次第で、他人から見ると「勘違い」に振り切ってることもあるかもしれない。

でも、そこには他人がいて他人の意見が含まれているので、何も行動を起こさず自分一人で考えた"客観"は、ただの思い込みに過ぎない。

この“周囲の大多数の人の目を気にしすぎて、自分のしたいことができないと感じている“という状況における“周囲の大多数の目“は、ただの思い込みだということだ。

自分が何かした時にそれをバカにしてくる人も、「勘違いおばさん」と否定してくる人も自分自身が作り上げている。

他人に否定的な人は自分にそれが返ってくることを知らない

他人のすることに対して「それは痛い行動だ」とか「そんなことその歳でやるもんじゃない」のような否定的な捉え方をしている人は、その考え方が巡り巡って自分の首を絞めていることに早く気づいた方が良い。

最近は「自分らしく生きて良いよ」と背中を押してくれる表現者の方たちも増えていて、早くこの価値観が主流になれば良いなと思う反面、これまで刷り込まれてきた右に習えな精神はそう簡単に変わらない人も多いと思う。


人の本音なんてもんは接する相手によって表現の仕方が変わるし、相手によって捉え方が変わる。
こちらが「楽しい話」として発しても、相手の心が曇っていれば「嫌な話」として消化されて終わってしまうこともある。逆も然り。
曇った心を持っている限り、どんな意見も否定的に捉えられ、それは巡り巡って結局自分に返ってくる。

そういう人に「素敵だなと思った女性」の話をしても、「勘違いおばさん」と消化されてしまうのが嫌なので、できるだけ本音の話はしないようにしてしまう。

わたしも曇った心が顔を出す時があるし、否定的に反応してしまう時もあると思う。
でもやっぱり人と仲良くしたいし楽しく生きていきたいから、相手が気持ちよく話せるように、肯定的に捉えたいしちゃんと意図を受け取りたい。これらは常に心がけていることでもある。


自分の母親にもそれ言うの?

まず大前提、自分にもそうなように、自分の母親にも好きなように生きて欲しいし、やりたいことがあるなら何でも挑戦して楽しく暮らして欲しい。

母親が年齢にそぐわないであろうロリータなフリフリのワンピースを着たがっているなら、ドーゾドーゾと大賛成…できれば良いのだが

「ちょっといったん考えよう…!」と二の足を踏んでしまうと思う。

フリフリを着たい気持ちを汲んで、50代でも似合うようなフリルアイテムだったり、甘めテイストのワンピースを探したりするだろう。

それは母親に「勘違いおばさん」と言われて傷ついてほしくないというわたしなりの愛だ。

でもここで、母親が「そんな妥協したくないねん!わたしはわたしが着たいこのピンクハウスのピンクフリフリワンピースを着る!」と強い気持ちを持っているなら、きっと受け入れる。

それは母親がようやく、他人の目から解放されて自分の人生を生き始めたということで、自分がしたいことをしてる人は強いからだ。

こうなると人に影響を与える人になるよな〜と妄想しながら、やっぱり自分の母親が言われて傷つきそうな言葉は今のうちから使いたく無い。

今母親が傷付きそうな言葉は、未来の自分が傷付く言葉であることには間違い無さそうだ。

今後も自分の行動力の妨げになるような言葉は使わないよう生きていきたいなと改めて思った。


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