知的労働におけるチームマネジメント

チームマネジメントが苦手だという人と話すと、チームマネジメントの本質を間違って捉えているなと感じることが多い。このエントリでは私の考えるチームマネジメントのキモの部分を書く。

なぜチームで知的労働を行うのか

チームで知的労働を行う理由を問うと、1 + 1 = 2 ではなく、人と人の化学反応を起こして 1 + 1 = ∞ にする、、、といった漫画の世界の話をする人もいるし、人材の適正配置を実現すればよりよいアウトプットが出るという人もいる。それらが完全に間違いだとは思わないが、ズレているなと思う。

チームで知的労働を行う理由はただ一つで、「考える頭の数を増やす」というだけである。

つまり、三人寄れば文殊の知恵を実現することが知的労働におけるチームの存在意義だと私は考えているが、何故かそれとは程遠いチームマネジメントをする人が多い。

そうなってしまう原因と思われることをここからは書いていく。

人間の能力に大した差はない

私はこれまで小卒〜博士卒まで様々な人たちと仕事をしてきたが、人間の考える能力に大差はないと素直に感じている。(もちろん、病気等の例外はある)

ではなぜアウトプットやアウトカムに差が出るのかといえば、保持している情報量の差や、思考の前提となる思考技術の差といえる。

つまりは、保持している情報量を揃え、考え方を正しく伝えられれば、基本的には同じようなアウトプットが出てくる。

これはいろんな人と仕事をする中で沢山試したが、ほぼ例外なく自分が期待した(もしくはそれ以上の)アウトプットが出てくる。

しかし、多くのチームにおいてはそれらが実現されていない。リーダーという人だけが情報を持ち、時には情報格差を利用した抑圧までもが行われる。

これは結局のところ自分の立場を守りたいという保身の気持ちが主な要因だが、それ以外にも「自分の頭が一番良い」という驕りがあることは間違いない。

知的労働におけるより良いチームを作りたいなら、これらの考えは即刻捨てるべきである。

叱る/怒る/詰めるマネジメントは無意味

現代においても叱る/怒る/詰めることで人間の能力が開花すると信じている人がいるが、本当に無意味である。

恐怖を感じる状況では人の思考能力が落ちるのは明白だし、恐怖を感じる相手には自分の考えを素直に述べることが出来なくなる。つまりは、本来実現したい三人寄れば文殊の知恵から圧倒的に遠ざかる行為であり、即刻止めるべきである。

もし、メンバーが出したアウトプットの質が低いと感じるのであれば、何故その状態になってしまったのかをそのメンバーと一緒に考えるべきである。

その時のキーワードは下記のようなものである。

  • どの情報が足りなかったからこの考えに至らなかったのか

  • どの視点が足りていなかったか

  • 情報や視点が足りなかった理由は何故か

とした時に、これらの多くはそのメンバーではなくマネジメント側の原因であることに気付くはずだ。

つまり、メンバーと話すべき内容は、「今後より良い状況を作るために、私はあなたに何が提供できるか」という観点に尽きる。

複数の視点で考えることで物事は確実に良くなる

一人で何かを考えることは限界がある。ゆえに、複数人で物事を考える方が良い。(もし何かを考えるタスクを特定の個人に与えているというなら、せめてペアで考えるように依頼すべきである。)

とした時には、下記のような状況が必要となる。

  • 誰もが同じ情報にアクセスできる

  • コラボレーションして考える時間を取ることの意義を全員が認識している

  • より良いアウトプットを目指したいという共通認識がある

そのためには明快なゴールが必要だし、情報の出し惜しみなど愚行でしかないと認識すべきだし、多少の雑談なども推奨されるべきである。雑談の中からアイディアが生まれたり、テキスト等で共有しきれなかった情報共有にもつながる。

どうすればよいか

これを読んでいるあなたの性格やキャラクターにもよるため、ここで書けることは特にありません。キモとなる考え方を理解した上で、自分に合った方法を考えてみてください。

一人で考えるのが難しいのであれば、ご連絡いただければ何かの方向性は見出せるかもしれません。


P.S. のみともだちをさがしています


まいにちのご飯代として、よろしくお願いします。