カルチャーマッチという幻想についての考察

仕事さがしをしていると「カルチャーマッチ」という単語にしばしば出会う。とはいえ、この言葉の意味が私にはよくわからない。

そもそも、カルチャーマッチというからには、
・組織というものにカルチャーが存在し
・そのカルチャーが新しく組織に入る人とマッチする
という二つの前提を持つこととなる。

とはいえこの二つの前提そのものが間違っていると感じている。

カルチャーはそもそも定義できない

カルチャーマッチというからには、マッチする対象であるカルチャーがなんらかの形で定義されている必要がある。しかし、組織というものは人の集まりに過ぎず、新しい人が入れば組織の形は変わるし、そもそもとしてそこに所属する人の状態は日々変わっていくものである。としたときに、カルチャーは流動的なものであり、明確な定義を行うことは難しいといえる。(もちろん、スナップショット的にその一瞬を切り取れば定義可能ではあるが)

また、マッチというからには新しく組織に入る人の人間性/性格等々がある程度定義づけられるからマッチしたかどうかが判断できると考えるべきだが、そもそも人は見る角度によって異なるのが通常であり、一次元的に人の定義をしてしまうのはナンセンスである。

つまるところ、
定義不能である組織
定義不能である人
のマッチングを図ろうとしている行為がカルチャーマッチであって、この行為に何かの意味があるとは思えない。

組織の文化のようなものをどう捉えるか

組織のカルチャーは定義できないという話をしてきたが、他方で組織の過去の営みの蓄積によって生み出された「その組織独自の文化のようなもの」が存在するのは事実である。

ソフトウェアエンジニアを中心とした組織を例にとると、相互レビューの文化などがその一例だろうか。

しかしこれらをカルチャーと定義してしまうことには違和感がある。なぜなら、これらの行動はあくまでもその組織に現存する人たちの行動の総和であって、移りゆくものだからである。極端な話だが、レビューに否定的な発言力の強い人が組織に入った時点でその文化は簡単に消滅してしまう程度には移ろいゆくものだといえる。

とすると、この文化のようなものは「ステート(状態)」と捉える方が自然ではないだろうか。

ここまでの話をまとめるとこのような形となる。
カルチャーはそもそも定義できない
・組織に存在する文化のようなものは移り変わりゆくステートである

ステートをどのようにして維持していくか

多くの採用現場において語られるカルチャーというものは、あくまでもステートであって、カルチャーのステートと呼ぶのが正しいといえる。

とした時に、カルチャーのステートをどう維持するかが課題となる。

上述のレビューの話を例にとるならば
・レビューに意義を見出す人の行動の積み重なり
・レビューを強制するなんらかの規範
の二つのパターン(もしくは双方)によって維持されているのではないだろうか。

抽象度を上げて言い換えると
・組織に所属する人たちの総意
規範または規律
によって、カルチャーのステートは維持されるのではないだろうか。

本来的なカルチャーマッチ(のようなもの)はどうあるべきか

さて、そもそもなぜ採用現場においてカルチャーマッチ(のようなもの)が求められるのだろうか。

これは、そのカルチャーのステートが維持できるのであればより良い組織となることができ、より良いアウトカムを生み出すことができるという信念がベースにあると考えられる。

つまるところ、経営層からのお願い事項である。

とするならば、カルチャーマッチという考え方自体が間違っていて、経営層が考える理想のカルチャーのステートの維持のために必要な行動や考え方に対しての合意を取ることが、採用現場で本来行われるべきことではないだろうか。

例を挙げるならば
・私たちはレビューを大切だと思っている
・新しく入社するあなたにもレビューの文化に合意してほしい
・合意ができない場合はマッチしない方がお互いにとって良い
といったところだろうか。

としたときに採用側が行うべきことは、自分たちの組織が大切にしたい行動や考え方を明確にし、合意を取るというプロセスを採用プロセスに組み込むことではないのだろうか。


とはいえ本当にカルチャーマッチのようなものって必要なの?

さて、ここからは毒を吐く。

経営層が定義したカルチャーのようなものを守ることで、本当に組織は良くなるのだろうか。また、この定義が古くなってしまった時にどうするのだろうか。

さらには、そもそもの採用の目的は事業や組織の成長(広義)ではないのだろうか。としたときに、自分達が定義した何かによって採用の間口を狭めてしまうことは、本当に意味のある行動なのだろうか

とするならば、
・絶対に避けたい何点かのみ記載する
・組織をより良くしたいという点にのみ合意をとる
だけで良いのではないだろうか。

より良い組織の状態なんて常に変わりゆくわけで、それを事前に定義し切ること自体がナンセンスだし、全くもって意味のない行動ではないかと思う。


あとひとつ付け加えるならば、所詮人間同士の好き嫌いの話じゃんって気持ちはとてもあるし、採用現場においても「なんとなくこの人好き!話してて楽しい!」とかそんな感じでいいと思うよ。その気持ちは大体正しくて、仕事しててもやっぱり楽しいし、その結果として成果も出るしね。


P.S. こんなこと言ってるからカルチャーマッチしなさそうとかいわれるんですかね。誰か仲良くしてください!!


まいにちのご飯代として、よろしくお願いします。