過去の経験や実績を過大評価する社会に対して思うこと

採用活動を行う中で当然のように用いられるのが「履歴書」と「職務経歴書」である。

これらの前提にあるのは、候補者の「過去」に着目することで「現在」の候補者の能力を推し量ろうという思想である。

この考え方自体が悪いとは思わないが、実務としての採用活動においては下記のようなことが当然のように行われている。

  • この年齢でこの経験しかしていないのであれば対象外

  • このレベルの会社であれば対象外

  • この程度の実績であれば対象外

このように「特定の経験」を保持しているかが書類選考を行う上では特に重要であり、その有無によって評価が大きく分かれる。

採用活動を効率的に行うという観点では正しい行動といえるが、マクロな視点で見ると「社会全体として大きな損」をしているように思えている。

このエントリでは「過去の経験を過大評価してしまう風潮」における現在の問題、近い将来発生する問題を紹介した上で、マクロな視点で見た時の「あるべき候補者の評価」について検討を行っていく。

現在における問題

ここでは「経歴詐称」と「リスクをとった人間の経歴の問題」を取り上げる。

経歴詐称問題

過去の経験が過大評価されている現状は候補者も当然に気付いている。ゆえに、職務経歴書は当然に盛られたものとなる。

書類選考をしていると「MVP獲得」というワードを毎日のように見るが、もはやそれが本当なのかどうか誰も判断できない。リーダーをやっていたと書かれていても、それが本当だったのかもわからない。リファレンスを取れば良いという話はあるが、10数年前に勤めた会社の何かが書かれていた場合、それすらも難しい場合がある。

つまるところ書類選考においては盛ったもの勝ちでしかなく、その真偽の判断を面接の場で行うという本末転倒な採用活動になりがちである。

このような状態で行われる採用活動に何の意味があるのか私にはわからない。

リスクをとった人間の経歴の問題

「リスクを恐れずチャレンジする人が欲しい」といった採用側の希望は多いが、本当にリスクをとっている人の実績の多くは残念なものになる

とはいえ、先行する側の多くは「リスクをとっているが故に実績が残念」なのか「本当に何もしていない」のかの判断ができず、「少しでも違和感があれば落とす」という採用活動の一般則に従い、リスクを取ってきた人が不採用になりやすい傾向にある。

としたときに、リスクをとって何かにチャレンジすることのリスクがさらに大きくなってしまい、「誰もリスクを取らない社会」へと近づいてしまう


つまるところ採用側都合の実績偏重主義が空虚な採用活動を生み出し、さらにはリスクを取り辛い社会へと歩を進める一因となっている。

近い将来発生する問題

今後さらに多くの業界・業務において自動化・AI化が進むのは不可逆であり、業務の難易度は更に上がることが当然に予想される。故に「必要な経験を持つ人材の希少化」がさらに進む。

また、自動化・AI化は組織のスリム化をもたらしていくのも必然である。より少ない人数で組織や国を運営出来るようになるということは、それらに必要な経験を積める場が更に限られていくという問題に繋がる。

もっといえば、将来必要になると考えて積んでいった経験の使い道が自動化・AI化で無くなっていくのも必然であり、投下した時間分のリターンを得ることすら難しくなるといった問題も容易に想像できる。

とした時には、「必要な経験を積むことができなかった場合はドロップアウトするしかなくなる」という社会に近づいていく可能性も高い。

[知的労働者の分断という問題についての補足]
現在の飲食店の業務の多くはもはやこれ以上効率化できない域にある。つまり、現在の状態で数十年後も運営されている可能性が高い。これは、調理器具の改善や業界全体のオペレーションの改善がもたらした成果であり、どちらかといえば良いことであると考えている。(ある意味で誰でもできる仕事になってしまったが故に、待遇が上がらないという問題が裏表としてある)

これらと同様のことが知的労働にも発生すると考えている。つまりは「これ以上効率化も改善もできない業務」が自動化・AI化が進む中で増えていくと予想している。

他方では「一握りの人間にしか行えない超高難易度の業務」が生まれていき、「知的労働者の分断」というものが発生するとも考えている。

これらの背景を考えるならば「特定の経験さえ積んでおけばとりあえず安泰」だが「特に稼げない知的労働者の仕事」というものも一定数生まれていく可能性も高い。

私たちはどうあるべきか

自動化・AI化が進んだ社会における「必要な経験」を定義するという未来予知は誰にもできないが、組織がスリム化していく流れは不可逆といえる。また、そのような社会における必要な経験はより短いスパンで変わっていくことも当然に予想される。

とした時には、採用活動において下記を重視していくべきである。

  • 「今」その人がこの業務を出来るかどうか

  • 「将来的に」その人が変化に対応出来るかどうか

つまりは学習力や新しい物事への適応力などをより重視して選考していくというのが当然の流れだと考えており、過去の経験や実績ではなく「今」や「将来」をもっと見据えた採用活動に変えていくべきである。

面接等においても過去の事象の深掘りをしても意味はなく、「この業務ができるか」「将来これらが出来る可能性が高いか」といった観点での質問等を増やしていくべきである。

また、書類選考を変えるというのも重要であると考えている。「職務経歴書」という形である限り過去の経験・実績が重視されてしまうため、そのような形ではなく「募集している業務を実施できることの証明」と問うたり、「学習力の高さ・適応力の高さ」と問う質問を行うなども手だといえる。

これらはある意味で新卒採用における「ポテンシャル採用」に近しく思えるが、「よくわからない未来における活躍の可能性」を問うのであれば、実態としてはポテンシャル採用と変わらなくなるのは当然であろう。

その中で、数多くの経験を持つ人はそれらをもとに自分の可能性を説き、実績はなくとも能力を持つ人はそれらの能力と将来性の証明をすればよく、それらはより公平な採用といえるのではないだろうか。

[今を知るために過去を聞くという質問の問題点の補足]
過去の意思決定などについての深掘りを行うことで、候補者の適性を見極めるという手法が面接では使われがちである。とはいえ過去は過去であって、特に意味はない質問だと個人的には考えている。

過去を問う質問だとしても、どちらかといえば下記のような質問を行うべきではなかろうか。

- 過去ではXXという意思決定をされましたが、現在の能力で同じ状態になったとした場合、どのような意思決定をしますか。また、それらに変化が生じた理由も教えてください。 

おわりに:なぜこの文章を書いたか

最後に、私がなぜこの文章を書いたかについて補足しておく。

場末の飲み屋を飲み歩く中で「中卒夜職だがとても頭の良い子」に稀に出会う。彼ら彼女らの中には自ら望んでその仕事をしているわけではない人も一定数いて、とはいえ「他に選択肢がない」という理由でそれらの仕事をしていると聞いている。

ではなぜ他に選択肢がないかといえば「経験や実績を過大評価する社会」だからであり、この社会構造を変えていかない限り彼ら彼女らには(運の要素を除き)機会が巡ってこない。

これらの話を他人事だと捉えることができるハッピーお花畑脳な人は、これからの社会の現状をもう少し自分の頭で考えてみてほしい。

自動化・AI化が更に進み「より少ない人数で社会が回るようになる」のは必然といえ、私だけでなくこのエントリを読んでいる人も「社会から不要とされる側」に回る可能性があるからだ。というよりも、その可能性はとても高い。

その際にドロップアウト以外の道があると良いなと思っていて、その一歩目は「経験や実績を過大評価する思想からの脱却」だとは思っている。

その一歩目に向けての議論のきっかけ、思考のきっかけにでもなればいいなと思って書いた。

[少子化についての補足]
日本の少子化というのはとても良い話だと個人的には思っている。「社会から不要とされる側」の人が増えるということは日本におけるスラム化を進めるものであるのだが、それらがたまたま少子化という因子によって食い止められるのだ。(社会から不要となる人の数 < 社会から減る人の数、である限り理論上スラム化は防げる)

よりスリムな国や社会の運営を考える中で、その誰にとっても社会の中での役割があると良いなとは思ったりしますね。おわり。


P.S. 場末の飲み屋でお待ちしています。気軽にご連絡ください。


まいにちのご飯代として、よろしくお願いします。