AI全盛時代における知とスキルのあり方について

先日、Notion AI がリリースされた。私も使ってみたが、なかなかに体験が良い。簡単なブログの文章であれば瞬時に生成することが出来るし、JobDescription や SNSの投稿文面なども比較的クオリティの高いものがほぼ自動で作られていた。

AIの精度が高まっていくことは約束された未来といえ、AIとどのように付き合っていくかを真剣に考えていくタイミングが顕在化したのが現在といえよう。

そこで本エントリでは、現状から想像される未来をベースに私たちがAIとどのように付き合っていくべきかを検討していく。

専門性の高くない業務について

文章生成AIのクオリティは現時点で非常に高く、AIよりも上手な文章を書くことができる人間はもはや少数派といえそうである。とした時に、下記のような変化は間違いなくおこる。

  • SEO記事のためのライターのAIへの置き換え

  • 文字起こしの完全な自動化

  • 文章校正業務の完全な自動化

つまるところ、専門性の高くない業務領域における文章作成作業はほぼAIに置き換わると見て良い。そのため、AIにより良い文章を作らせるための呪術師としてのライターが残り、これまでの数百倍のペースで記事等を量産していくことになる。それにより、通常のライターの単価は現在の数百分の一まで落ちることも想像され、多くのライターが廃業を余儀なくされる未来は容易に想像がつく。

また、ある程度専門性の高い分野のライティング・リサーチについても大幅な変化が発生しうる。すなわち、リサーチ業務こそAIの本領であり、その部分が自動で行われるようになることで、「付け焼き刃の専門性」はもはや無いものと同じとなる。そのため、いわゆるテクニカルライターと言われる分野の人たちも大幅な単価低下が見込まれそうである。

また、下記のような補助業務の多くも早い段階で自動化されていくといえる。これらは現時点では半自動化程度であるが、将来的には人間の介在が不要になるはずである。

  • 日程調整等を中心としたアシスタント業務

  • 定型的なチャットサポート対応

  • 一般的な経理業務

  • 一般的な法務業務

  • 一般的な翻訳業務

  • 一般的な採用活動に伴う事務業務

これらの中にはある程度の専門知識が必要とされる領域もあるが、先例の少ないものでは無い限りAIの方が精度が高くなる未来は確定的であり、やがて完全に自動化されていくであろう。

クリエイティブな業務について

クリエイティブな業務については仕事の進め方の大幅な変更が求められそうである。具体的には下記のような仕事がAIに置き換えられていく可能性が高く、人間が価値を出す場所をどこにするかを考えていく必要がある。

  • ブレインストーミングやアイディア出し

  • クリエイター色を出さない形の画像作成

  • スライドの作成

  • ソフトウェアのコーディング

  • UIデザイン

  • データ分析

また、マネジメント系の業務もある程度AIに置き換えられていく可能性が高い。タスク管理などはそもそも人間がやる必要性がないものであり、定型的なタスクであることを考えると、AIを中心としたプロジェクトやチームというものも容易に想像できる。

人に対する評価などは信用スコアと同じような考え方で自動的に収集できるはずで、より公正かつ明確な基準に沿った自動での評価が可能になると考えて良い。

ここまで考えてみて思うのは、ホワイトカラーの実作業レベルの仕事の殆どがAIに置き換わる可能性が高いという点である。また、私たちがクリエイティブだと思っている作業の多くもAIに置き換わっていく可能性が高い。

意思決定というタスクについて

この部分については判断が難しい。少なくとも、AI観点で見た「こちらの意思決定の成功確率はN%」といった情報が与えられるようになる未来は容易に想像がつき、そこから先の判断を機械が行うか、人間が行うかは状況と考え方次第という他ない。

というよりも、ここに人間としての矜持が残りそうである。が、証券売買がほぼ自動化されていることを考えるならば、どこかの段階で意思決定の自動化が加速することは確定的と言って良いと考えている。

私たちは何をすべきか。そして私たちにとっての知は何になるのか。

ホワイトカラーの仕事の大多数が自動化されていく未来は近い。としたときに、仕事は「趣味」により近づいていくと考えられる。自動で出来ることをわざわざ手動で行うということは、趣味という他ない。

つまるところ趣味としての労働が残るのであるが、これは案外多くの人間が続けるのではないかと予想している。囲碁や将棋においてはAIが完全に人間を上回っているが、それでもプレイヤーが減ったわけではない。つまりは勝敗以外の楽しさの部分に何かしらの魅力を感じるプレイヤーが多いということであり、仕事も同様に「仕事の成果以外の楽しさ」を求めて取り組む人が一定以上残るように思える。

としたときには広い意味での雇用はある程度存在すると考えられ、他方で生活に必要な何かはほぼ自動で生産されるようになるはずで、一般的な生活をするには超低コスト、その上である程度コストを自ら支払って仕事をする、といった状態になっていくように思えている。

また、その状態における知は、これこそ本当に趣味の領域となる。少なくとも仕事における知の多くは差別化要素ではなくなり無価値と同等になってしまうため、それでも何かの知を求めるという行為は趣味としてしか成立し得ないように思う。

まとめ

働くことや学ぶことが大きく変わっていく転換点がやってきたように思えている。スキルというものについての認識も大きく変わっていくだろうし、知というものに関しても同様である。その中で私たちはきっと楽しく、そして意味のある生活を送るために、お金のために働く世界から抜け出す一歩目が近づいてきたのかなと思う。そこで失うのは、多分、これまで私たちが仕事や知において培ってきた矜持なのだろう。


まいにちのご飯代として、よろしくお願いします。