仕事ができるとは何か
「仕事ができるようになりたい」という若手をよく見かけるし、シニアな人と話していても「あいつは仕事ができる」だとか「仕事ができないヤツ」といった話はよく出てくる。
とはいえ「仕事ができるとは何か」については常にフワっとしており、明確な定義がないと感じている。そのため「仕事ができるようになるためのアドバイス」には抽象的なものが多く、多くの場合は意味をなしていない。
そこでこのエントリでは「仕事ができるとは何か」という点を明確することで「仕事ができるといわれる状態」をより具体的にし、「仕事ができるようになるためにすべきこと」をより具体的に考えられるようにしていくことを目指す。
仕事ができる=成果が出せること?
単純に考えるのであれば、「期待される成果が出せる状態」を「仕事ができる」といえそうである。
とはいえ、この定義だといくつかの問題がある。
例えば「たまたま撮った動画がバズったYouTuber」は仕事ができるといえるのだろうか?
一般的な感覚だと、これは仕事ができる状態とはいえないように思える。
また、期待される成果が出せない場合は常に仕事ができない状態なのだろうか。とはいえ成果は運に左右されることも多く、成果が出ないからといって常に「仕事ができない」と評価されるわけではない。
つまり、仕事ができる・できないという文脈において「成果」は当然に評価の対象となるが、私たちは成果には運の要素が付きまとうことを無意識的に理解しており、運によって生み出された成果を私たちはあまり評価していない。
それよりも、運とは関係ない部分にある「スキル」について成果と同時に評価しているように思える。
とすると、仕事ができるという状態を理解するためには「成果」と「スキル」の双方について理解を深める必要がある。
成果とは何か
このエントリでは、成果のことを「相手が期待している結果」と定義する。
とはいえこれでは解像度が少し荒い。
結果には期待と実際の話があるからだ。
そのため、成果は大きくこの二つに分かれる。
相手が期待している結果
実際の結果
とすると、「相手が期待している結果を生み出すために必要な能力」がスキルといえそうである。
成果とスキルの関係
上述のように、「実際の結果」を「相手が期待している結果」に近づけるものがスキルと考えられる。
ところで、スキルが高いと周囲が認める人が常に仕事ができると評価されるわけではないという事実がある。
よくあるのは「プログラミング能力は高いが仕事はできないと評価されるソフトウェアエンジニア」だろうか。
なぜこのような状態が生まれるのかといえば、スキルはあったとしても相手が期待する成果を生み出せていないからである。
つまり、スキルを持っているだけでは「仕事ができる」と評価されることはなく、あくまでも「スキルを成果に変換」することによって評価されるのである。
つまり、相手の求める成果を正しく理解できない限り、いくらスキルが高くとも「仕事ができる」と評価されることはない。
期待される成果を理解するスキル
上述のように、スキルは成果を通して評価される。とすると、仕事ができると評価されるためには「期待される結果を正しく理解するスキル」が必要となる。
つまりはスキルは下記の二つに分けて考える必要がある。
期待される結果を理解するスキル
期待される結果を実現するスキル
仕事ができるといえるためには当然にこの双方が必要であり、どちらかでも欠ければ仕事ができると評価されることはなくなってしまう。
これらを踏まえて考えるなら、成果についてももう少し詳細に考える必要が出てくる。
成果の4分類
結論からいえば、成果は下記の4つに分けることができる。
1: 相手が本来的に求めている結果
2: 言語化された相手が期待している結果
3: 自身が理解した成果
4: 実際の結果
これまでは主に「2: 言語化された相手が期待している結果」と「4: 実際の結果」について書いてきたが、より意識すべきは「1: 相手が本来的に求めている結果」と「3: 自身が理解した成果」である。
3: 自身が理解した成果について
まず先に「3: 自身が理解した成果」について説明する。
上述のように、相手が期待する結果と実際の結果にズレがある場合は仕事ができると評価されない。このようなズレが生じてしまう原因は、「3: 自身が理解した成果」が相手が期待する結果とズレているか「4: 実際の結果」を生み出すスキルがないかのどちらかである。
スキルについては身につけるしかないが、「3: 自身が理解した成果」がズレている場合は致命的である。相手が期待している結果と全く異なる結果が生み出された場合、そもそも評価対象にすらならないのだ。
そのため、「2: 言語化された相手が期待している結果」と「3: 自身が理解した成果」にズレがないことを確認することが重要となる。
1: 相手が本来的に求めている結果について
多くの人間は自身の考えを言語化することが得意ではない。ゆえに、「 2: 言語化された相手が期待している結果」と「1: 相手が本来的に求めている結果」にはズレがあるのが通常である。
とはいえ、相手は当然に「1: 相手が本来的に求めている結果」が実現されることを望んでいる。それゆえ、「1: 相手が本来的に求めている結果」を実現することが出来ると「仕事ができる」と当然に評価される。
しかしこれは諸刃の剣でもある。なにせ相手も言語化できていないことゆえに、「空想上の相手が本来的に求めている結果」を生み出してしまう可能性が高いからだ。
ゆえにこのアプローチを取る際は、「相手が本来的に求める結果を言語化する」というフェーズが必要になる。とはいえこれには「期待される結果を理解するスキル」の上位互換のスキルが必要となるため、このエントリでは割愛する。
個別の仕事ができるようになるには
これまでの話をまとめると、個別の仕事ができるようになるには下記の二つが必要ということになる。
期待される結果を理解できるようになる
運の要素がなくともその結果を実現できるようになる
これは両方とも上述したスキルの話であり、この二つのスキルを保持しているならば、個別の「仕事ができた」といえる状態を作れるようになる。
図にするとこのような形になる。
仕事ができる人とは
個別の仕事が「できた」とはいえ、その人自体を「仕事ができる人」と評価するわけではない。人の評価はたった一つの事象だけで行われるわけではないからだ。
ゆえに、個別の仕事の「できた」を積み重ねていくことで「仕事ができる人」という評価に変わっていく。さらにはその積み重ねがその人へ期待する結果のレベルを高め、仕事ができる人という評価も高まっていく。
とするならば、「期待される結果のレベルが相対的に高い人」が仕事ができる人といえそうである。
とはいえ、その人が絶対的に仕事ができる人だと言い切ることはできない。なぜなら、期待される結果は状況によって異なるからだ。
例えば新卒一年目と十年目の社員では期待される結果は当然に異なるし、それどころか組織や相手との関係性によっても当然に異なる。
つまり、同じスキルの人だったとしても所属するコミュニティや役割が異なれば、仕事ができる・できないの評価も当然に異なるのだ。
つまるところ「仕事ができる人」というのはあくまでも相対的な評価の話であるし、特定のコミュニティにおける話に過ぎない。とすると、実のところあまり意味のない話であるともいえる。
まとめ
これまでの話をまとめると、仕事ができるとは「期待される結果のレベルが高くとも、それを運の要素がなくとも実現できると期待できる状態」と捉えることができる。
そのような状態になるためには下記のステップを辿る。
個別の仕事における「期待される結果を理解するスキル」と「期待される結果を実現するスキル」の双方をもち、個別の仕事で期待される結果を実現する
個別の仕事で期待される結果を生み出し続けていくことで「その人に期待される結果」を高める
これらの活動を通して初めて「仕事ができる人」という評価を特定のコミュニティにおいて受けるようになる。
とはいえこれらは相対的な評価の話であり、コミュニティや役割が変われば評価は変わってしまう。
ゆえに、誰かがいう「仕事ができる・できない」という話はそのコミュニティの外の人にはあまり大きな意味を持たないが、そのコミュニティに限定するのであれば「人の話を理解し、期待される結果を生み出せる人」という評価だと理解することが出来る。
参考
相手が期待している結果を正しく理解するためには自身の言語化力が求められます。こちらのエントリも併せて読んでいただくと良いかもしれません。
また、期待される結果を実現するスキルについてはこちらのエントリが参考になると思います。
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